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2009年08月24日

粟田神社・拝殿竣功奉告祭に剣鉾奉賛~続編

8月2日、梅雨明けを思わすような奇跡的な好天に恵まれて、

「拝殿竣功奉告祭」並びに「清々会創立六十年奉祝祭」が執り行われました。

好天ゆえ猛暑にはなりましたが、多数のご来賓・崇敬者の方々をお招きし、

無事に式典が滞りなく終了したことは何よりでした。




剣鉾たちも新装なった拝殿で光り輝いていました。

御神宝の阿古陀鉾を中心に、各鉾町の剣鉾が終結しているような雰囲気がいいです。

阿古陀鉾の号令一下、馳せ参じた感がたまりません。



8月1日の夕方、剣鉾の組み立てもほぼ完了。
鉾飾りの準備が整い、明日の本番を控える剣鉾たち。
阿古陀鉾を中心に、円陣を組んでいるような景色です。




奉告祭神事、ご来賓よりの祝辞、功労者の表彰などが終わり、

拝殿を取り囲むテントの中では懇親の宴が催されています。





拝殿で、阿古陀鉾を先頭に儀式隊形で綺麗に整列している剣鉾たち。




右から、阿古陀鉾(瓜鉾)・柏鉾・松鉾・獅子牡丹鉾・瓜巴鉾(うりどもえぼこ)。

まねき(=剣先)に注目して欲しいのですが、その長さの違いが非常に興味深いです。

右から左へと、剣鉾が現在の差鉾の完成形まで、長大化してゆく歴史をみているようです。





◆御神宝 【阿古陀鉾(瓜鉾)】
まねきが短く、剣鉾の古式を残す阿古陀鉾のシルエット。
まねきの風切り穴も、三部に分かれている点は同じだが、根元近くまで長く続いている。





もう一基、現在留守鉾になっている、古い方の阿古陀鉾の額部分が厨子構造になっていて、
この由緒書に書かれている感神院新宮と書かれた”金札”が、その内部に納められていた。





これが、現在留守鉾になっている古い鉾。
この額の内部が、厨子構造になっていることが、平成になって発見された。
~写真は、田中緑紅著「ふるさとの祭と行事」より~


◆ 【柏 鉾】
元:東町守護の鉾であったが、現在は粟田神社守護となっている。
やはり留守鉾があり、錺は柏の葉と枝を左右対称に配置したものである。




本鉾の錺意匠は、柏の葉にカケスの様にも見えるが、話では鳩とのこと。
柏は、どんぐりを二周り程大きくした実を付けるが、その実をバランスよく葉の間に配している。
受金は、よくある俵型ではなく、額と同色に着色され、柏の葉と実のデザインが施されている。




御神宝の阿古陀鉾、第一番の地蔵鉾に次いで、第二番を務める。




平成20年の粟田祭での柏鉾。荷鉾の姿で神幸列の供奉している。
まねきは、式典時のものとは異なっているので、どちらかが留守鉾のマネキか?
どちらにしても短く、やはり差鉾のまねきの長さではない。



長柄は、漆や螺鈿ではなく白木のままで、
錺金具は非常に細かい細工ながら、真鍮地金に錆がまわり緑青色になっている。
また、注目したいのが棗(なつめ:=打金)の天地寸法が非常に短いことで、
また項を改めて詳しく書きたいが、
棗の天地寸法が短いと、鈴(りん)とまねきの振幅を同調させるのに、調整しろが小さくなる。
それが、鈴を前後で打つ京鉾の差し方でなく、原則的に前打ちのみの差し方をする場合、
棗に調整するための天地幅はそれほど必要なくなる。
その前打ちの例は、旧京北町・山国神社や瀬田・若松神社に見られる。
梅ケ畑の平岡八幡宮も前打ちであったか?(まだ実際の鉾差しを見たことがないので判らない)
前打ちの鉾差し様式は、剣鉾が長大化する以前の、
古い鉾差しの様式を伝えるものではないのかとも考えているのである。






◆【松 鉾】 南西海町守護
元々は”松竹鶴亀鉾”という鉾名であったが、
どういう理由かは不明だが、いつの間にか錺がどんどん減り、
最後に"松"の意匠だけが残って、鉾名も松鉾になった。







松鉾は各所の神社祭礼に、その例を見ることができるが、
ここ粟田の松鉾と、岡崎神社(東天王)、並びに吉田今宮社の松鉾が、
驚くほど酷似していることは興味深い。





◆【獅子牡丹鉾】大井出町・今小路町守護
この獅子牡丹鉾は3基あり、下の鉾由緒書にもあるように、
寛政8年(1796)新造の鉾を昭和7年12月1日に奉献した。
その鉾は、祭礼時に社務所で飾られる。1979年当時の様子はこちら




松鉾同様、額には梵字が。
仏教色を強く放つ魅力的な鉾である。







◆【瓜巴鉾】西町守護
この瓜巴鉾は、差鉾ではなく荷鉾の形になっているため、
先の松鉾・獅子牡丹鉾に比べると、まねきは短くなっている。
現在、祭礼では居祭のみとなっているが、
神幸列に供奉していた頃、吹散とは別に見送りを付け巡幸していた。
その見送りを二枚有していて、その内の一枚に堂本印象筆の鷹図がある。









◆【垣夕顔鉾】夷町守護
夕顔が垣根に絡まる様子を意匠に取り入れた、珍しい剣鉾である。
やはり留守鉾があるが、意匠は異なり垣根がもっと省略化されている。
本鉾の方は、軽量化を意識したのか、非常に錺の板厚が薄くなっている。
近年、補強を施し、強度に欠ける部分を補ったが、
組む際の縄を取る位置は、注意する必要があると聞いている。









◆【葡萄栗鼠鉾】古川町守護
この剣鉾も、非常に珍しい意匠の鉾である。
たわわに実った葡萄の房に、栗鼠(りす)が飛び付こうとしている様を表している。
この鉾も、長らく古川町では鉾飾りをされていなかったが、
粟田剣鉾奉賛会が結成され、鉾差し巡行復活のなかで、
姿を見ることができるようになった。
近年は、粟田祭・神幸列には出ていないが、以前は差鉾として供奉していた。









◆【竹虎鉾】堤町守護
竹林に虎が躍り出る勢いのある意匠の鉾である。
江戸時代、粟田祭では白川に架かった石橋の行者橋を、
剣鉾を差して渡る「曲渡り(曲差し)」が呼び物であった。
下記に、その書物の挿絵を紹介した。








その「曲渡り(曲差し)」の模様は、『(宝永)花洛細見図』の粟田口祭の項で、
その挿絵に描かれている剣鉾が、何あろうこの「竹虎鉾」である。
背後にもう一基見えているのが、錺意匠からすると「弓矢鉾」と思われる。
現在、弓矢鉾は荷鉾になっているが、この当時はまだ差鉾の形をしている。




額には、「天王」の二文字。
表現は簡素だが、確かに竹虎鉾である。
虎が頭を下にして竹を背にして躍っている。





◆【桐 鉾】中之町守護
18基の剣鉾中、"番外"として惣鉾の殿を務める剣鉾である。
番外になった経緯は、説明書に書かれている通りである。





しかし、この論争が勃発した詳細な原因と、
惣鉾の末に列するという"番外"という序列で決着した理由は謎のままである。

この日、この件で粟田剣鉾奉賛会のメンバーの方と、しばし話をすることができた。
あくまでも仮説・推論ということを前提にしてのことだが、
この論争が発生した当時、どのように調停するか苦慮した仲裁者が、
紫野の今宮神社につながりのある方から、智恵をいただいたのでは・・・というのである。
多くの神社の剣鉾の序列スタイルは、
古い鉾から順番に並んだり、年次交替でローテーションするのが一般的である。
ところが、紫野・今宮神社では、最後尾に付く「扇鉾」を一番としているのである。
今宮さんでは、最後尾という位置の意味として、
神輿の一番そばに付いて、神輿をお護りする重要な役どころと考えているのである。
智恵を借りた・・・というのは、裏付けの資料や文書があるわけではないので、
あくまでも空想のレベルとことわったが、非常に興味深い仮説である。

今宮神社と粟田神社とのやり取りについては、粟田神社の文書には記録がないとのことだが、
事実、今宮神社の御神宝の中に、三条小鍛冶宗近が鍛えた名刀が伝わっているのは、
何か繋がりがあったのではと、想像力と好奇心を掻き立てるのである。
三条小鍛冶宗近という名前に聞き覚えのある方は、
おそらく祇園祭・長刀鉾の長刀を鍛えた名工として聞かれたのではないかと思う。

桐鉾を守護する中之町には、合槌稲荷神社があるように、
粟田には三条小鍛冶宗近に代表される名工たちが多くいた。
その一振りが、今宮神社の宝として伝わった経緯がわかれば、
謎解きのヒントになるかもしれない。






おそらく、これだけの数の剣鉾が、粟田で一堂に会するのは最後だろうとのことでした。
そんな風なことを聞くと、とても寂しく感じるが、
実際のところその通りだと思うのです。







その昔、粟田祭に18基の剣鉾が居並んだ姿は、それは壮観だったでしょう。
将来、また再びこのような機会に恵まれることを願ってやみません。




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Posted by どせうの寝床 at 20:59│Comments(9)粟田神社
この記事へのコメント
ご無沙汰してます<(_ _)>さいたまのmonodoiです。素晴らしいレポートありがとうございました。「おそらく、これだけの数の剣鉾が、粟田で一堂に会するのは最後だろうとのことでした」とありますが、それをきちんと記録しアップされた「どぜうの寝床」さんに感謝申し上げます。
それにしても画面越しに居並ぶ剣鉾を眺めるだけでも壮観なのですから、これが立ち並んだ光景を想像すると、ドキドキしてしまいます(^^;
Posted by monodoi at 2009年08月24日 21:22
monodoiさん、ご無沙汰してます。
春はお世話になりました。
大豊さんの記事もUP出来ずに秋が来てしまいました。
monodoiさんの記事も”書きかけ”で止まったままになっており、
申し訳ありません。
(自戒、アウトプットが遅すぎます。)

拝殿竣功奉告祭での剣鉾リポート、楽しんでいただけて光栄です。
これだけの数の鉾が揃うと、さすがに凄かったですね。

もう、秋祭りのシーズンが間近です。
早いものです。
この記事も、盆前にはほとんど書き上げていたのですが、
剣鉾一基ずつに、こだわって書き出していたら、
いつまでたってもUPが出来なくなってきて、
切のいいところで止めました。
あと、後片付けの様子も撮っていますので、後日UP予定です。

今年の秋祭りは、瀧尾神社の剣鉾が9月22日(火・祝)に、
泉涌寺境内を夜に鉾差しをされます。
泉涌寺ライトアップに合わせてのことで、
週末の27日には、本祭で再び巡幸がありますので、
なんと、1週間に2回も巡幸・鉾差しをするという強行軍だそうです。
もちろん、神輿の渡御も両日あり。
剣鉾と神輿はセットです。
今年の秋も、熱くなりそうです。
では、また宜しくお願い致します。
Posted by どぜうの寝床 at 2009年08月25日 13:09
こんにちは。kenichsbergです。

実は小生もこちらの情報に誘われて、粟田神社に当日行ってまいりました。
剣鉾が居並ぶさまは壮観でした。
貴重な情報いただき、どうもありがとうございました。

ところで、一つ質問があるのですが、剣先を「まねき」と呼ぶのは、粟田神社に限ったことなのでしょうか。あるいは一般的な呼び名なのでしょうか。初歩的な質問で恐縮ですが、ご教示賜れると幸です。

今後ますますのご活躍を期待しております。
それではこのあたりで失礼いたします。
Posted by kenichsberg at 2009年08月27日 21:01
kenichsbergさん
コメントをいただきありがとうございます。
ご返事遅くなってしまい失礼しました。

粟田さんに行っておられたんですね。
お顔は存じ上げないので、ご挨拶しようにも難しかったですね。
多数の剣鉾を見慣れていると思っていた私も、9基が居並ぶ姿には感動しました。

さて、ご質問の「まねき」の件ですが、呼び名の分布・伝播を検証したことがないので、参考になるようなご返事できなくて申し訳ないです。
一般的には、"剣先"や"剣"と呼ぶ地域の方が多いかも知れません。
この点に関して、今後意識していきたいと思います。

ご質問に関係すると思うのですが、鉾の扱い方や部品の呼び名などの情報の共有という点で、非常に重要になってくるのが"鉾差"という技術集団の存在だと思います。

剣鉾を有する、ほとんどの祭礼や神社では、祭の当日に鉾差さんを雇って来てもらうので、神社や鉾町の方々よりも彼らの方が、剣鉾という祭具(=道具)に関しては一番の権威であって、どこの祭の○○鉾が、現在どういう状態にあるのかを把握できる立場にあったのです。
"まねき"という呼び名の伝播を担っていたのも、おそらく鉾差が大きく関わっていたと考えています。

現在、一乗寺・北白川・鹿ケ谷・吉田・粟田の鉾差さんたちは、当ブログでも度々ご紹介しているように、技術向上を目指して練習会を開き、剣鉾のメンテナンスも協力し合って実施しています。
その活動の中で、新たな情報共有の流れが発生していると思います。

もう一方の鉾情報の担い手であり、第一の当事者である鉾町・鉾仲間の方々の存在ですが、彼らは剣鉾の維持管理を永きにわたって行ってきました。

旧来の宮座や鉾仲間の組織が残っている神社では、剣鉾の扱い方や部品の呼び名も、今も変わることなく受け継がれているようです。
それが、鉾差さんを自前で供給できない上に、自治会化してしまった鉾町で見られる例として、継承・伝承のシステムが絶滅危惧状態にあり、鉾の扱い方や呼び名に関しても同じ状況が見られるのです。
そういった状況では、外部からの情報がコピーされて、昔からそうであったように、まことしやかに語られることも考えられます。

長々と書き連ねてしまいました。
また、情報ありましたらよろしくお願いします。
この秋は、どちらのお祭に行かれるご予定ですか。
お会いする機会があればいいですね。
Posted by どぜうの寝床どぜうの寝床 at 2009年08月31日 00:49
kenichsbergさん

【”まねき”という呼び名について】
その後、祭り好きの友人に聞いてみたのですが、”けんせん”と呼ぶところもあるようです。
”けんせん”を漢字に書くと「剣先」ですから、その文字を”けんさき”と読むか”けんせん”と読むかで異なってくるのです。

口伝えという”音”で継いで行く場合と、書付や箱書きなどの”文字”で継いで行く場合で、伝わり方が異なってくることも考えられますよね。

言語学者ではないので、専門的な説明はできませんが、ある音と音に挟まれた母音か子音かが欠落したりする、そんな日本語の法則があったように記憶していますが、そういうことがあって、呼び名に変化が起こったり、
また、文字で伝わる場合は、突然変異のようなことが、時として起こったりします。
これは、事故といってもいいような例で、そんな冗談の様なことが本当に起こるの?と言いたいですが、実際に起こるパターンとして紹介します。
それは、一文字が欠落して読み飛ばされたり、異なる文字と誤読されることで、間違った発音となり、まったく意味不明の名称に変化し、後世に伝わっていくというものです。
前述のコメントの中で書いたように、「昔から、そう呼んでいたかの様に、まことしやかに語られる」と、誰も疑うものはいないのです。
ただ、それも伝承の一つの形だと、考えていいんじゃないかと思います。

脱線が過ぎましたが、【まねき】の呼び名について戻りますと、剣鉾の歴史の中では、新しい呼称の部類に入ると考えていいと思います。
巡幸時に、剣先が前後にしなって、いわゆる”まねく”様な動きになるのは、剣鉾が長大化した時代以降のことだと考えるからです。
今は、その年代を限定することはできませんが、おそらく時代は大きく下っていると考えます。

また、何の脈絡も無く、書き連ねてしまいました。
自分の頭の中を整理するために書いているようなもんで、失礼しました。
Posted by どぜうの寝床 at 2009年08月31日 20:49
どぜうの寝床様

こんにちは。kenichsbergです。
たいへん詳しいご解説をどうもありがとうございます。
これからもまたいろいろ教えていただきたいと存じます。

小生もご紹介いただいた秋祭のうち、いくつか行けるものは行きたいと思っています。10月11日に行われる北白川天神宮の一之鉾には、確か平安時代の延喜年間の銘が入っているんでしたっけ? とんでもなく古い鉾ということになりますが、拝見できるのでしょうかね?

またシーズン近くなってきたら、コメントさせていただきますので、よろしくお願いいたします。
Posted by kenichsberg at 2009年09月01日 19:39
kenichsbergさん
長いだけのコメントになってしまい、失礼しました。
会社帰りの電車の中で打ってると、こんな具合になってしまいました。
秋祭りでは、お会いできるといいですね。

第2土日曜は、”剣鉾ピーク”の一日なのですが、
実は、毎年大津祭でお手伝いをしていまして、京都へは行きたくても行けないのです。
因みに、大津祭りも昔は剣鉾が出ていたのです。
荷鉾の形になっていますが、一基だけあります。
現在は、神輿蔵の中に忘れられたように保管されています。
近々、その鉾を見せていただけるお話になり、
これも、今秋の楽しみの一つでもあります。

それから、北白川の「黒鉾」ですが、
岡崎の「犬鷹鉾」、粟田の「阿古陀鉾」とならんで有名ですね。
延喜八年(908年)八月十三日の銘が入っています。
実物は私も見たことがありません。
おそらく、壱之鉾の当家さんにお飾りされていると思います。
神社の方でも、鉾に関しては把握されていません。
鉾町ではなく、旧来からの鉾仲間で守護している形です。
背中合わせに位置する八神社(浄土寺)なども、同じように鉾仲間があり、
毎年鉾飾りをされるお家がポンポンと変わります。
その年の当家さんを探すのが大変だったりしますね。

ところで、kenichsbergさんのサイトをお気に入りに入れさせていただきました。
これからも宜しくお願い致します。
Posted by どぜうの寝床どぜうの寝床 at 2009年09月02日 22:46
いよいよ来週から秋祭り本番(松尾八朔祭は終わりましたが)ですね。

また例年のように、同じ祭へ参加させて頂く予定です。

剣鉾はどぜうの寝床さんのように、綺麗には撮れない(神輿につきっきりということもありますが)ですが、また京都の祭・担い手の表情を追いかけたいと思います。


また秋からもよろしくお願いします。
Posted by kengo at 2009年09月15日 12:34
kengoさん、また熱い祭のシーズン到来ですね。
神輿を見つけると、
次にkengoさんの頭に手拭姿を探すのが癖になってます。
この秋も、あちこちでお会いすると思いますが、
宜しくお願い致します。
Posted by どぜうの寝床 at 2009年09月15日 22:38
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