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2010年06月25日

耕三寺博物館蔵・古鉾二基

広島県のしまなみ海道・生口島(いくちじま)にある、

浄土真宗本願寺派 潮聲山 耕三寺 の併設されている博物館に収蔵されている。

剣鉾の先祖とも呼べる室町時代の古鉾である。

どちらも、北野天満宮伝来というから、また熱くなってしまう。



右の鉾は、若干丈が短く、風切り穴も二本ではあるものの、

そのシルエットは、まさに現在の剣鉾の剣先そのものである。

下記の拡大画像でも非常に見にくいが、僅かに「全面に雲龍の毛彫」が見て取れる。







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この記事へのコメント
こんにちは。kenichsbergです。

いやあ、びっくりしました。こんな鉾が残されているとは。

それぞれかなり形が違いますね。特に左側の鉾はかなり特殊で、いかにも「古い」といった印象があります。

これって、どういう風に知ったんですか?本当にこちらのブログは目が離せないです。

取り急ぎ驚きのコメントのため、乱筆乱文お許しください。
Posted by kenichsberg at 2010年06月25日 09:25
kenichsbergさん、いつもお世話になっております。
私も最初に見た時びっくりしました。なぜ瀬戸内海の寺院にこんなものが、と目を疑いました。
沿革を見ると、寺院といっても明治に開山した新しいお寺で、住職がお坊さんになる前に収集していたコレクションの内の一つの様です。
祭り繋がりで知り合った様々な方々からの情報です。普段から事ある毎に、剣鉾…剣鉾…とつぶやいていたら、こんな風に情報を頂ける様になってきました。

>それぞれかなり形が違いますね。特に左側の鉾はかなり特殊で、いかにも「古い」といった印象があります。

鍔の部分に梅の毛彫が施されています。北野天満宮伝来との裏付けを強めます。

順次ご紹介していきますのでお楽しみに。

末筆ながら、日頃より御協力頂いております皆様には、この場を借りて御礼申し上げます。
これからも宜しくお願いします。
Posted by どぜうの寝床 at 2010年06月25日 17:37
kenichsbergさん、以前に教えていただいた「金・銀・銅の日本史」を再読しました。

以下は、自分のための備忘録です。

まず最初に、真鍮は黄銅というのが正式名称で、銅と亜鉛の合金です。
その亜鉛の入手が技術的に困難であったために、国内での真鍮の登場が遅れたわけです。

日本において、真鍮がごく少数の例として登場しだすのが16世紀後半から17世紀初頭に掛けてということから、現在のような黄金色を放つ剣先を持った剣鉾が登場するのは、早くても近世に入るのを待たなければならないかとも考えていました。
しかし、実際にはもっと早い時代から黄金色の剣先は存在しているのですね。そこで、「真鍮」という、一般的な銅合金の名称にだまされていたのではないかと思ったのです。
つまり、普通に黄金色をしている身近な金属のことを、何でも”真鍮”と呼んでしまう癖はありませんか。それだけ、真鍮が生活の中に浸透した金属であることの証明なのですが、真鍮と思い込んで、そう読んでいた金属は、実は別の金属だったのでないかと、考えるようになったのです。
要するに、銘の無い古い剣先を、簡単に真鍮製だと判断してしまっていたのではないかと言うことなのです。


その真鍮と混同されやすいもう一つの銅合金は、やはり黄金色を放つもっと古代から使われてきた金属なのです。それが、銅と錫の合金である青銅です。青銅と聞くと、銅鐸や銅鏡の様に、いかにも緑青色をしたイメージがありますが、ある一定の比率で錫を添加すれば、見事な黄金色を放つ青銅ができるのです。
確か、吉田剣鉾保存会で剣先を復元製作するに当たって金属成分を調べたところ、確か?「銅と錫ともう一つ何かの合金だった」と言っておられたような記憶が甦ってきたのです。もう一つの何かは、ごく微量だったように記憶しています。
青銅は、錫が多すぎると硬いけれど脆くなり、少なすぎると柔らかすぎるのです。適度な硬さで粘りがある剣先になる最適な範囲が、ほぼ黄金色をする範囲だと考えられるのです。
しかし、亜鉛の入手が出来るようになると、銅+亜鉛=真鍮が生成され、加工性に富む真鍮は、青銅に取って代わられていったものと考えられるのです。
ひょっとすると、青銅から真鍮への移行が、剣先の長大化を可能とする土壌になった可能性があります。
真鍮がどんどんと大量生産されていく。そして化政時代を境にして、一気に鉾の新調が相次ぎ、剣先の長大化がさらに進んでいった。
差し方の変化とともに、剣先の短い剣鉾や、金錺りが重くなり過ぎた鉾は、差されることなくなり、荷鉾に改造されていったのかもしれない。

追記
青銅から黄銅への移行は、まさに錫から亜鉛への移行でもあるのです。
しかし、二択でスパッと切り替わっていったわけではない様です。

つまり、母材:銅に対する添加金属が・・・【錫only】→【錫+鉛】→【錫+鉛+α】→【鉛+α】→【鉛+α+亜鉛】→【α+亜鉛】→【亜鉛only】、といった経路をたどるそうです。
特に、日本の特徴は、錫と亜鉛が混ざる時代が無いということなのです。
その式を当てはめれば、その剣先の製作年代もほぼ確定できるということになります。
非常に面白いお話です。
Posted by どぜうの寝床 at 2010年06月25日 22:16
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