2018年01月06日
2018年 新年あけましておめでとうございます。
新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
下御霊神社の還幸祭は、現在5月第三あるいは第四日曜日に行われています。
午前中は東廻りで、寺町通以東を四基の剣鉾が神幸列に供奉しています。
差鉾は扇鉾・葵鉾の二基、荷鉾は菊鉾・枝菊鉾の二基です。
午後からは西廻りで、最西端は油小路まで巡幸します。
供奉する剣鉾は、近年まで差鉾の菊桐鉾と、
午前中にも出ました枝菊鉾の二基が供奉していましたが、
菊桐鉾の剣先に不具合が生じてからは、枝菊鉾の一基のみになっています。
≪巡 幸 路 MAP ・ ク リ ッ ク 拡 大≫
2017年01月04日
2017年 新年あけましておめでとうございます。
新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
昨秋、粟田祭の宵宮に鉾当家巡りをして、久方ぶりに鷹羽鉾の当家さんをお訪ねしました。
ブログ記事「思い出のアルバム~粟田祭1979年10月15日~」では、
昭和54年の様子を見ていただくことができますが、
当時、鷹羽鉾は御神号軸と鷹羽の屏風のみの宵宮飾りで、鉾は出ていませんでした。
この度、鷹羽鉾の実物を間近に拝見することができ、感動いたしました。
当家の御主人には、様々なお話を伺うことができ、鉾差しの衣装や道具類の箱書きなど、
貴重な史料を見せていただくことができました。
2016年01月01日
2016年 新年あけましておめでとうございます。
昨秋の十月十八日、賀茂別雷神社 第四十二回式年遷宮・八大神社剣鉾奉納。
左から、一番鉾の菊鉾、二番鉾の龍鉾、三番鉾の柏鉾。
吹散を下げて一の鳥居から馬場を二の鳥居へ。
そして、二の鳥居をくぐって拝殿前へ。
三基が横並びに揃って吹散を下げる姿は、なかなか見る機会はありません。
非常に貴重な体験でした。
2015年01月01日
2015年 新年あけましておめでとうございます!
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
この写真は、昨年5月11日の新日吉(いまひえ)神宮 新日吉祭の一コマ。
御鳳輦に供奉していた剣鉾二基が、一足先に還ってきて、
御本殿下の拝殿周りで鉾差しを執り行っている様子。
右の鉾が、大宮町守護の大宮鉾。左の鉾が、日吉町守護の十禅師鉾。
永年にわたって、新日吉神宮・新日吉祭では七基の剣鉾が守護されてきた。
仮に、一番~七番と巡行順に呼んだとしたら、大宮鉾が一番鉾で十禅師鉾が六番鉾に当たる。
ここ新日吉神宮の剣鉾の呼称は、山王上七社のそれにならってつけられている。
つまり、大宮鉾・二宮鉾・聖真子鉾・八王子鉾・客人鉾・十禅師鉾・三宮鉾。
日吉社の総本宮である近江坂本の日吉大社の山王七社に合わせていくと・・・以下となる。
<二本宮>
西本宮(大己貴神)=大宮
東本宮(大山咋神)=二宮
<五摂社>
宇佐宮(田心姫神)=聖真子(しょうしんし)
牛尾宮(大山咋神荒魂)=八王子
白山宮(菊理姫命)=客人(まろうど)
樹下宮(鴨玉依姫命)=十禅師(じゅうぜんじ)
三宮宮(鴨玉依姫命荒魂)=三宮
五摂社の内、聖真子・八王子・客人・十禅師の四社は、維新直後の神仏判然令により、
仏教色の残る名称を一掃するために改称されてしまった。この際、御祭神も見直されている。
本家本元がその様な状況だったけれど、新日吉さんでは幸運にも本来の呼称を残している。
2014年01月03日
2014年 新年あけましておめでとうございます。
新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
大豊神社の剣鉾三基/菊鉾・扇鉾・観音鉾(龍)がすすんでくるのを、南禅寺中門越しに見ている。
蹴上インクライン下から南禅寺境内までの参道コースは、
電線もなくて、連なりながらの鉾差しが見られる好撮影スポット。
しかし、季節はゴールデンウィークの真っ只中。
観光客に加えて、観光バスやタクシーで溢れている参道を、
鉾を差して進むのは、なかなか苦労が多い。
この画像でも、真後ろにタクシーがにじり寄ってきている。
因みに、撮影は2007年5月5日。翌2008年から祭礼日は5月4日になった。
この南禅寺中門は、臨済宗大本山南禅寺の公式サイトによると、
慶長6年(1601)松井康之より、伏見城松井邸の門を勅使門として寄進されたものとのことで、
現在の勅使門「日の御門」の拝領<寛永18年(1641)>に伴い、
南へ約20mの現在地に移建された。
2013年01月03日
2013年 新年明けましておめでとうございます。
新年明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます。
昨年の5月13日、伏見・金札宮の神幸祭において、
剣鉾二基の神幸列供奉が復活した。
今年は、いかなるニュースが飛び出るか、楽しみ楽しみ。
本年も宜しくお願い申し上げます。
昨年の5月13日、伏見・金札宮の神幸祭において、
剣鉾二基の神幸列供奉が復活した。
今年は、いかなるニュースが飛び出るか、楽しみ楽しみ。
2012年01月01日
2011年01月03日
2011年・明けましておめでとうございます。
新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
地主神社・清水二丁目守護の剣鉾。
主祭神である大己貴命(大国主命)に因んで、因幡の白兎をモチーフにしている。
清水一丁目の菊鉾の吹散にも、やはり波頭を跳ねる白兎が描かれている。
額の裏面には、文化三年(1806)丙寅 四月吉日の銘。
去年5月5日の地主祭にて、清水一丁目・二丁目の町役の方にお話を伺うも、
鉾差し巡幸での記憶のある方はおられなかった。
隣接する”ゑびず神社”の剣鉾の多くが、
豪華な胴掛・見送・金工錺を装備した荷鉾に仕立てられている。
そのことが、差鉾の巡幸を早い時期に途絶えさせたことに、
影響を与えている可能性を感じる。
本年もよろしくお願いいたします。
地主神社・清水二丁目守護の剣鉾。
主祭神である大己貴命(大国主命)に因んで、因幡の白兎をモチーフにしている。
清水一丁目の菊鉾の吹散にも、やはり波頭を跳ねる白兎が描かれている。
額の裏面には、文化三年(1806)丙寅 四月吉日の銘。
去年5月5日の地主祭にて、清水一丁目・二丁目の町役の方にお話を伺うも、
鉾差し巡幸での記憶のある方はおられなかった。
隣接する”ゑびず神社”の剣鉾の多くが、
豪華な胴掛・見送・金工錺を装備した荷鉾に仕立てられている。
そのことが、差鉾の巡幸を早い時期に途絶えさせたことに、
影響を与えている可能性を感じる。
2010年01月01日
2010年・明けましておめでとうございます。
粟田神社 第十四 竹虎鉾(堤町守護)
延宝三年(1675)八月二十三日新造
【宝永花洛細見圖】 五之巻 ~粟田口祭~
元禄十七年(1704)に刊行された
全十五巻からなる京都の地誌である。
洛中洛外の寺社仏閣、名所旧跡、風俗など
多くの絵図と説明が書き添えられている。
その生き生きとした絵は
当時の姿を伝える貴重な史料である。
”粟田口祭”の項では、元禄期の当時、
すでに見せ場となっていた
白川の石橋にて剣鉾を差して渡る
「竹虎鉾」の姿が描かれている。
2009年01月01日
2009年 明けましておめでとうございます。
頌春 平成二十一年 己丑
下御霊神社 剣鉾
石竹鉾 舊名:草葵鉾 大門町守護
永享七年(一四三五)後花園天皇御寄附
この鉾の大門町と定まりし年月、
詳らかならざれども、
永正十五年(一五一八)同町にて修理せしよし、
箱に記しあり