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Posted by 京つう運営事務局 at

2011年01月15日

『北斎漫画』に見る剣鉾

『北斎漫画』といえば、あの葛飾北斎が描いた挿絵の画集で、

様々な事物の描き方の手本帳である。

今でいうところのデザイン素材見本集の様なあつかいで評判を呼び、次々に編を重ねていった。

つまり、職人が意匠デザインの手本として観る画集であったのだ。

しかし、これは大人から子供まで見ても楽しい書物である。

眺めているだけで、見聞を広めることができてしまう。

初編が文化十一年(1814)に発刊され、

最後の十五編が出たのは、なんと明治十一年(1878)になる。

と、まあ・・・そういう本だから、ひょっとしてお祭りの、

それも剣鉾を描いた手本があるのではないかと探してみると、

まさしく、それがあったのだ。


文化十二年(1815)に出版されたシリーズの三作目に当たる、

三編の十九に、神輿と少し離れて一基の剣鉾が描かれていた。




葛飾北斎は、江戸の人である。

なるほど、神輿は江戸型のように見える。

すなわち、飾り紐(鈴縄)が大鳥(鳳凰)から蕨手を経て舁き棒に下りているのが描かれている。

また、屋根の軒先部分に吹返しも見える。

これが、京都型なら鈴縄は蕨手から黒棒をつなぐだけであるし、吹返しは付かない。

ということは、この剣鉾も江戸の鉾をスケッチしたものである可能性が高い。



この平成の時代においても、天下祭りと呼ばれる山王・神田の両祭をはじめ、

江戸の多くの祭りにおいて剣鉾の姿を見ることができる。

やはり、関東一帯にもその分布は多数確認されるが、

そのほとんどは、枠に建てられた荷鉾の姿をしていて、

鉾差しという形態での巡幸は皆無である。

京都における剣鉾に比べると、その存在感は圧倒的に薄い。

ネット上でチェックしても、ほとんど情報が出てこないのも、その影の薄さのせいで、

祭りに携わる人においても、”見えているが観ていない”という状況なのだろう。

呼称が決して”けんぼこ”でないということにも起因しているのか。

しかし、その剣鉾を、なぜ葛飾北斎はスケッチしたのだろうか。

化政期の江戸における祭礼の一コマとして、ごく一般的な景色だったのかもしれない。

つい先日、「山車・だんじり悉皆調査」のサイト管理人・岩根氏より、こんな情報を頂いた。

昨年の9月18・19日、東京都足立区千住の仲町氷川神社の祭礼において、

100年振りに、祭礼に飾付けられた四神鉾のニュースが報道されたという。

その画像の中に、剣鉾に酷似した鉾と思われる姿を見つけた。

四神鉾の説明はあるものの、この鉾に関する解説はまったくない。

剣先にあたる部分は、金属ではなく木製の様に見受けられる。

その飾り付けの模様がYouTubeにも出ていたので添付しておく。

そのタイトルでは、「四神旗」・「剱飾り」となっている。

◆足立よみうり新聞
 「100年ぶりに「四神鉾之神」ご開帳~仲町氷川神社の大祭で」

◆祭りだ!神輿だ!お江戸の神輿
 千住仲町氷川神社大祭 平成22年9月 ⇒ 【拡大画像】

◆平成22年千住仲町氷川神社大祭 四神旗・剱飾り
 






  


Posted by どせうの寝床 at 18:10Comments(2)古絵図・古文書・図録に見る

2010年06月25日

耕三寺博物館蔵・古鉾二基

広島県のしまなみ海道・生口島(いくちじま)にある、

浄土真宗本願寺派 潮聲山 耕三寺 の併設されている博物館に収蔵されている。

剣鉾の先祖とも呼べる室町時代の古鉾である。

どちらも、北野天満宮伝来というから、また熱くなってしまう。



右の鉾は、若干丈が短く、風切り穴も二本ではあるものの、

そのシルエットは、まさに現在の剣鉾の剣先そのものである。

下記の拡大画像でも非常に見にくいが、僅かに「全面に雲龍の毛彫」が見て取れる。




  


Posted by どせうの寝床 at 08:00Comments(3)古絵図・古文書・図録に見る