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2018年09月10日

剣鉾・顔面カタログ 「粟田神社 第十五番 琴高鉾 西海子町守護 」




この琴高鉾は、神幸列供奉はもとより、町内での居祭りもされることもなく、

長らく姿を見ることができなかった。

しかし、西海子町のご理解とご協力により、

数年前から剣鉾奉賛会による鉾差し姿での祭礼復活を遂げている。

中央の額・表面には「辯財天」、裏面に「南無天王八大王子」。  


Posted by どせうの寝床 at 07:00Comments(0)粟田神社

2017年10月01日

粟田祭2017・もう間近です。

いよいよ、粟田祭が近づいてきました。
今年の剣鉾六基は以下の通りです。

 一番・三鈷鉾
 二番・菊 鉾
 三番・垣夕顔鉾
 四番・獅子牡丹鉾
 五番・竹虎鉾
 六番・桐 鉾

三条通、瓜生石、東山三条交差点、白川沿い、神宮道交差点などなど、
見所いっぱいの神幸列供奉であります。


今年の大祭誌です。(クリックで拡大表示)

・夜渡神事10月8日(日)  午後6時   夜渡行列・神社出発
            午後6時30分 れいけん祭・瓜生石前

・神 幸 祭10月9日(月・祝) 午後0時20分 剣鉾出発(午後5時20分頃・帰着)
            午後0時50分 神輿発御(午後5時50分頃・還御)








  

Posted by どせうの寝床 at 08:37Comments(0)粟田神社

2010年11月29日

粟田神社剣鉾奉賛会・22年度練習納め


去る11月24日、粟田神社剣鉾奉賛会の平成22年度・最終練習が行われた。

境内のモミジも色付きが最高のタイミングで、

練習の為に照らしたサーチライトに、剣鉾の金色ともみじの朱色が美しく輝いていた。

iphoneで、剣鉾と紅葉と満月を一緒に捉えようと必死になる余り、

ついついエビぞりになっている鉾差しのSさん。



会長、剣鉾で月を叩く。





「月に雁」ならぬ、「月に鉾」。



さあ、次は大西先生が行かはるか。








こうして、月見紅葉の境内で、剣鉾のりんの音がいつまでも響いていた。  


Posted by どせうの寝床 at 13:55Comments(2)粟田神社

2010年08月01日

粟田神社・剣鉾総点検

猛暑の中、今年の粟田祭10月11日(祝日)に出す予定の剣鉾の総点検が行なわれた。



大井出町・今小路町の獅子牡丹鉾。
  


Posted by どせうの寝床 at 21:00Comments(4)粟田神社

2010年07月30日

粟田神社 納涼ビアガーデン開催!

毎年恒例の納涼ビアガーデンが、粟田神社の境内で開催されます。
明日7月31日土曜日、夕方6時から9時頃まで。
どなたでも、お越し下さいませませ!



ビル屋上のビアガーデンと違って、神社の境内でのビアガーデンも乙なもんですよ。
祭り好きには、またコアな話題が聞けるかもね。




  


Posted by どせうの寝床 at 23:19Comments(0)粟田神社

2010年03月21日

結婚式で剣鉾 鶴鉾・扇鉾が乱舞!

風なく好天に恵まれた昨日3月20日、青蓮院前のパビリオンコートで、

大豊神社の鉾差しさんのご結婚をお祝いし、

粟田神社の鶴鉾と大豊神社の扇鉾が差されました。



定刻よりも少し早く、11時40分頃から鉾差が行われました。
 





会場のスペースは、一方は建物の軒が張り出していて、
反対側は垣根が枝を張っていたので、
2基の剣鉾を建てて、さらに差すには、ギリギリの幅でした。






南から北へ鶴鉾が、北から南へ扇鉾が、それぞれに差し始めました。







いいものですね。
お二人の門出を祝って、剣鉾が差されています。
場所が青蓮院の真ん前ですので、通りかかった観光客も加わって、
ギャラリーがすごかったです。






上空では、剣鉾の錺が触れ合いそうなほどです。
幸せを招いてくれる剣鉾の”招き(剣先)”が光り輝いていました。





平成の新鉾”鶴鉾”のお披露目も、このお目出度い席で、無事に行うことが出来ました。





新郎が差し革を着けています。
タキシード姿で、新郎も鉾を差しました。











見事、ご結婚お祝いの鉾が差されて、全員で三本締めを行いました。




新郎新婦を囲んで、鉾差しメンバーの記念写真です。




誰かが、鶴鉾の着物の柄が見えへん!といったので、
ちょっと、暴走族風の恰好でもう一枚。





差し終えて、粟田神社の境内まで戻ってきました。
大豊神社の扇鉾が、粟田神社で見れるなんて、これは珍しいことです。
というか、最初で最後のことではないでしょうか。






新郎新婦のお二人、本当におめでとうございます!
末永く、お幸せに。





  


Posted by どせうの寝床 at 11:54Comments(8)粟田神社

2010年03月18日

粟田神社・鶴鉾 Debut!

来る3月20日の午前11時。
青蓮院前の「パビリオンコート」において、剣鉾メンバーの結婚式が執り行われます。



午前11時45分から、パビリオンコート正面・前庭において、
粟田で平成に新造された“鶴鉾”と大豊神社の“扇鉾”が、お二人の新しい門出を祝い差されます。
"鶴は千年 亀は万年"に、"末広がりの扇"と、祝宴に相応しい剣鉾の揃い踏みです。
もちろん、鶴鉾は公の場に初デビューとなりますし、
扇鉾は、地元大豊神社氏子区域外にて初の鉾差しとなります。


パビリオンコート 京都市東山区粟田口三条坊町14

  


Posted by どせうの寝床 at 02:24Comments(0)粟田神社

2009年12月09日

粟田神社剣鉾奉賛会・総会にて

先日の5日土曜日、今年一年を締めくくる粟田神社剣鉾奉賛会総会が行われました。
会長からの挨拶とこの一年の報告の後、
大西先生から総括として、個々の技術研鑽はもちろんのこと、
チームを組んだ時の各自の連携した動きのレベルアップも、
心掛けることが肝要とのお話を頂きました。

剣鉾の建て起こし、そして差し革に棹尻を載せる、また降ろすといった一連の動きは、
少なくとも三人の鉾差しが揃って初めて可能となります。
その動作を、各自のポジションに着く者が体に染み込ませ、無意識にかつ確実に動けなければいけません。
そうして、お祭りを楽しみに観に来て頂いている方々に、剣鉾の良さをを伝えることができるのだと思います。

その総会の中で、大西先生からこの画像の品をいただくことができました。



青天の霹靂とは正にこのことで、まったく思いも寄らない出来事でした。
これは、鉾差しとして先生の弟子と認めていただいた証しの品です。
鉾差しとしては、まだまだ半人前以下の状況なのですが、益々の精進を重ねていく所存です。
授与いただけてしばらく、気が高揚して何も訳がわからなくなっていました。
これからも宜しくお願い申し上げます。
  


Posted by どせうの寝床 at 02:14Comments(0)粟田神社

2009年09月14日

粟田神社・剣鉾総点検 9月6日

粟田祭を来月12日に控えて、9月6日剣鉾の総点検が行われた。
毎年は8月第一日曜が恒例となっていたが、
今年はお目出度い「拝殿竣功奉告祭」があったので、1か月遅れの総点検となった。

粟田の本祭に供奉するお馴染みの6基(葵鉾・松鉾・獅子牡丹鉾・垣夕顔鉾・竹虎鉾・桐鉾)と、
9月22日の泉涌寺巡幸に供奉する1基(葡萄栗鼠鉾)の計7基の試験差しである。
 ※22日の泉涌寺巡幸には、粟田からは獅子牡丹鉾も奉賛。




この点検の目的は、各鉾の去年の巡幸時に不具合があった部分がちゃんと改善されているか、
新たに問題となる点が発生していないかなどをチェックする。

さらに、鉾1基に鉾差し4人が1チームとなって担当するが、
それぞれ各自が担当する鉾の調子を自分で確認し、祭当日を具体的にイメージして、
6基の鉾が安全に巡幸できるか、最善のシフトかを全員の目で確認しあうのである。


集まったメンバーが2つのグループに別れ神社から各鉾町へ出発。
A班が、「桐鉾」⇒「獅子牡丹鉾」、B班が「垣夕顔鉾」⇒「竹虎鉾」と点検してゆき、
「松鉾」で2班が合流。
その後、神社に帰って「葵鉾」と「葡萄栗鼠鉾」を点検するという段取りになった。


こちらは、中之町の桐鉾。
合槌稲荷の鳥居をくぐって姿を現した桐鉾の勇姿。







初秋の空に、剣鉾が眩しく輝きました。




一発で調子OK!次の獅子牡丹へ向かうぞ。


少し時間を押しながら点検作業も順調に進み、
一番西の南西海子町・松鉾に着いたのが、日も傾き出した午後4時前。
ここでメンバーの半分は先に神社に帰って、先行して葵と葡萄栗鼠の点検に入ることとなった。





境内では、本祭当日に一番鉾を務める、葵鉾がほぼ組み上がっていた。




先に、鈴の音を響かせる葵鉾。
典型的な葵の文様を左右対称に三葉ずつ配し、額の周りに花弁を散らした姿は、
シンプルな意匠ながら、まねきの長さ・金錺の張り出し、均整の取れた非常に美しい鉾である。
夕陽に輝く姿を見て、あらためて鉾の黄金比を見たように感じた。





次は葡萄栗鼠鉾の組み立てに入る。




普段は巡幸に出ることない、葡萄栗鼠鉾の留守鉾の金錺を見ることができた。
一枚板を切り抜いて細かく葡萄と栗鼠の文様を彫り込んである。
立体的か平面的かの違いはあるが、ほとんど本鉾と同じ図案である。

この錺には、明らかに使用された痕跡があり、
現在の本鉾が新調されるまでは、本鉾として巡幸に出ていた様に伺える。

留守鉾には、同時に本鉾・留守鉾を調製して、最初から留守鉾として造られる場合と、
本鉾を新調することで、お古の鉾を留守鉾とする場合とがある。
この葡萄栗鼠の場合は、後者に当たるようである。
また、最初から留守鉾の場合、大体、金錺の意匠は同一で、まねきの寸法が長短異なる。



組み上がった葡萄栗鼠も建てるぞ!



さあ、葵鉾とランデブー鉾差しと行きましょう。


こんなに真っ直ぐな、
まねき(剣先)ですが・・・・






次の瞬間をストップさせると、
こんなに曲がっているのです。







一同の顔にも笑顔が浮かびます。
7基の剣鉾の調整も、これで無事に完了となりそうです。




先生の素晴らしい差し姿。

いつまでも、粟田の森に鈴の音が響き渡っていました。
  


Posted by どせうの寝床 at 22:09Comments(4)粟田神社

2009年08月24日

粟田神社・拝殿竣功奉告祭に剣鉾奉賛~続編

8月2日、梅雨明けを思わすような奇跡的な好天に恵まれて、

「拝殿竣功奉告祭」並びに「清々会創立六十年奉祝祭」が執り行われました。

好天ゆえ猛暑にはなりましたが、多数のご来賓・崇敬者の方々をお招きし、

無事に式典が滞りなく終了したことは何よりでした。




剣鉾たちも新装なった拝殿で光り輝いていました。

御神宝の阿古陀鉾を中心に、各鉾町の剣鉾が終結しているような雰囲気がいいです。

阿古陀鉾の号令一下、馳せ参じた感がたまりません。



8月1日の夕方、剣鉾の組み立てもほぼ完了。
鉾飾りの準備が整い、明日の本番を控える剣鉾たち。
阿古陀鉾を中心に、円陣を組んでいるような景色です。




奉告祭神事、ご来賓よりの祝辞、功労者の表彰などが終わり、

拝殿を取り囲むテントの中では懇親の宴が催されています。





拝殿で、阿古陀鉾を先頭に儀式隊形で綺麗に整列している剣鉾たち。




右から、阿古陀鉾(瓜鉾)・柏鉾・松鉾・獅子牡丹鉾・瓜巴鉾(うりどもえぼこ)。

まねき(=剣先)に注目して欲しいのですが、その長さの違いが非常に興味深いです。

右から左へと、剣鉾が現在の差鉾の完成形まで、長大化してゆく歴史をみているようです。





◆御神宝 【阿古陀鉾(瓜鉾)】
まねきが短く、剣鉾の古式を残す阿古陀鉾のシルエット。
まねきの風切り穴も、三部に分かれている点は同じだが、根元近くまで長く続いている。





もう一基、現在留守鉾になっている、古い方の阿古陀鉾の額部分が厨子構造になっていて、
この由緒書に書かれている感神院新宮と書かれた”金札”が、その内部に納められていた。





これが、現在留守鉾になっている古い鉾。
この額の内部が、厨子構造になっていることが、平成になって発見された。
~写真は、田中緑紅著「ふるさとの祭と行事」より~


◆ 【柏 鉾】
元:東町守護の鉾であったが、現在は粟田神社守護となっている。
やはり留守鉾があり、錺は柏の葉と枝を左右対称に配置したものである。




本鉾の錺意匠は、柏の葉にカケスの様にも見えるが、話では鳩とのこと。
柏は、どんぐりを二周り程大きくした実を付けるが、その実をバランスよく葉の間に配している。
受金は、よくある俵型ではなく、額と同色に着色され、柏の葉と実のデザインが施されている。




御神宝の阿古陀鉾、第一番の地蔵鉾に次いで、第二番を務める。




平成20年の粟田祭での柏鉾。荷鉾の姿で神幸列の供奉している。
まねきは、式典時のものとは異なっているので、どちらかが留守鉾のマネキか?
どちらにしても短く、やはり差鉾のまねきの長さではない。



長柄は、漆や螺鈿ではなく白木のままで、
錺金具は非常に細かい細工ながら、真鍮地金に錆がまわり緑青色になっている。
また、注目したいのが棗(なつめ:=打金)の天地寸法が非常に短いことで、
また項を改めて詳しく書きたいが、
棗の天地寸法が短いと、鈴(りん)とまねきの振幅を同調させるのに、調整しろが小さくなる。
それが、鈴を前後で打つ京鉾の差し方でなく、原則的に前打ちのみの差し方をする場合、
棗に調整するための天地幅はそれほど必要なくなる。
その前打ちの例は、旧京北町・山国神社や瀬田・若松神社に見られる。
梅ケ畑の平岡八幡宮も前打ちであったか?(まだ実際の鉾差しを見たことがないので判らない)
前打ちの鉾差し様式は、剣鉾が長大化する以前の、
古い鉾差しの様式を伝えるものではないのかとも考えているのである。






◆【松 鉾】 南西海町守護
元々は”松竹鶴亀鉾”という鉾名であったが、
どういう理由かは不明だが、いつの間にか錺がどんどん減り、
最後に"松"の意匠だけが残って、鉾名も松鉾になった。







松鉾は各所の神社祭礼に、その例を見ることができるが、
ここ粟田の松鉾と、岡崎神社(東天王)、並びに吉田今宮社の松鉾が、
驚くほど酷似していることは興味深い。





◆【獅子牡丹鉾】大井出町・今小路町守護
この獅子牡丹鉾は3基あり、下の鉾由緒書にもあるように、
寛政8年(1796)新造の鉾を昭和7年12月1日に奉献した。
その鉾は、祭礼時に社務所で飾られる。1979年当時の様子はこちら




松鉾同様、額には梵字が。
仏教色を強く放つ魅力的な鉾である。







◆【瓜巴鉾】西町守護
この瓜巴鉾は、差鉾ではなく荷鉾の形になっているため、
先の松鉾・獅子牡丹鉾に比べると、まねきは短くなっている。
現在、祭礼では居祭のみとなっているが、
神幸列に供奉していた頃、吹散とは別に見送りを付け巡幸していた。
その見送りを二枚有していて、その内の一枚に堂本印象筆の鷹図がある。









◆【垣夕顔鉾】夷町守護
夕顔が垣根に絡まる様子を意匠に取り入れた、珍しい剣鉾である。
やはり留守鉾があるが、意匠は異なり垣根がもっと省略化されている。
本鉾の方は、軽量化を意識したのか、非常に錺の板厚が薄くなっている。
近年、補強を施し、強度に欠ける部分を補ったが、
組む際の縄を取る位置は、注意する必要があると聞いている。









◆【葡萄栗鼠鉾】古川町守護
この剣鉾も、非常に珍しい意匠の鉾である。
たわわに実った葡萄の房に、栗鼠(りす)が飛び付こうとしている様を表している。
この鉾も、長らく古川町では鉾飾りをされていなかったが、
粟田剣鉾奉賛会が結成され、鉾差し巡行復活のなかで、
姿を見ることができるようになった。
近年は、粟田祭・神幸列には出ていないが、以前は差鉾として供奉していた。









◆【竹虎鉾】堤町守護
竹林に虎が躍り出る勢いのある意匠の鉾である。
江戸時代、粟田祭では白川に架かった石橋の行者橋を、
剣鉾を差して渡る「曲渡り(曲差し)」が呼び物であった。
下記に、その書物の挿絵を紹介した。








その「曲渡り(曲差し)」の模様は、『(宝永)花洛細見図』の粟田口祭の項で、
その挿絵に描かれている剣鉾が、何あろうこの「竹虎鉾」である。
背後にもう一基見えているのが、錺意匠からすると「弓矢鉾」と思われる。
現在、弓矢鉾は荷鉾になっているが、この当時はまだ差鉾の形をしている。




額には、「天王」の二文字。
表現は簡素だが、確かに竹虎鉾である。
虎が頭を下にして竹を背にして躍っている。





◆【桐 鉾】中之町守護
18基の剣鉾中、"番外"として惣鉾の殿を務める剣鉾である。
番外になった経緯は、説明書に書かれている通りである。





しかし、この論争が勃発した詳細な原因と、
惣鉾の末に列するという"番外"という序列で決着した理由は謎のままである。

この日、この件で粟田剣鉾奉賛会のメンバーの方と、しばし話をすることができた。
あくまでも仮説・推論ということを前提にしてのことだが、
この論争が発生した当時、どのように調停するか苦慮した仲裁者が、
紫野の今宮神社につながりのある方から、智恵をいただいたのでは・・・というのである。
多くの神社の剣鉾の序列スタイルは、
古い鉾から順番に並んだり、年次交替でローテーションするのが一般的である。
ところが、紫野・今宮神社では、最後尾に付く「扇鉾」を一番としているのである。
今宮さんでは、最後尾という位置の意味として、
神輿の一番そばに付いて、神輿をお護りする重要な役どころと考えているのである。
智恵を借りた・・・というのは、裏付けの資料や文書があるわけではないので、
あくまでも空想のレベルとことわったが、非常に興味深い仮説である。

今宮神社と粟田神社とのやり取りについては、粟田神社の文書には記録がないとのことだが、
事実、今宮神社の御神宝の中に、三条小鍛冶宗近が鍛えた名刀が伝わっているのは、
何か繋がりがあったのではと、想像力と好奇心を掻き立てるのである。
三条小鍛冶宗近という名前に聞き覚えのある方は、
おそらく祇園祭・長刀鉾の長刀を鍛えた名工として聞かれたのではないかと思う。

桐鉾を守護する中之町には、合槌稲荷神社があるように、
粟田には三条小鍛冶宗近に代表される名工たちが多くいた。
その一振りが、今宮神社の宝として伝わった経緯がわかれば、
謎解きのヒントになるかもしれない。






おそらく、これだけの数の剣鉾が、粟田で一堂に会するのは最後だろうとのことでした。
そんな風なことを聞くと、とても寂しく感じるが、
実際のところその通りだと思うのです。







その昔、粟田祭に18基の剣鉾が居並んだ姿は、それは壮観だったでしょう。
将来、また再びこのような機会に恵まれることを願ってやみません。

  


Posted by どせうの寝床 at 20:59Comments(9)粟田神社

2009年08月01日

粟田神社・拝殿竣功奉告祭に剣鉾奉賛

2009年06月27日【粟田神社・拝殿竣工記念式典で剣鉾総揃え?!】で、

お伝えしていました拝殿が、いよいよ竣功致します。

今週末の8月2日、その竣功奉告祭が執り行われます。




その奉告祭に、いよいよ剣鉾が奉賛いたします。

修復なった拝殿に、鉾飾りが調えられる予定です。

ご存知の通り、粟田神社に存する剣鉾は最多を誇り、18基を数えます。

その内の11基が、このほど奉賛することとなりました。

奉賛の剣鉾は、

【御神宝:阿古陀鉾】、【地蔵鉾】、【柏鉾】、【松鉾】、【獅子牡丹鉾】、【瓜巴鉾】、

【垣夕顔鉾】、【葡萄栗鼠鉾】、【竹虎鉾】、【日月龍鉾】、【桐鉾】  以上の11基です。





屋根の葺き替えを終えた、美しい拝殿の姿を見て下さい。

拝殿を囲う柵の外周が、ひと回り外側に広がりました。





沢山の方々の御寄付・御支援によって、この度の竣功がなったことの証がここにあります。




★情報更新…奉賛する剣鉾に変動がありました。
 【御神宝:阿古陀鉾】
 【柏鉾】
 【松鉾】
 【獅子牡丹鉾】
 【瓜巴鉾】
 【垣夕顔鉾】
 【葡萄栗鼠鉾】
 【竹虎鉾】
 【桐鉾】
以上の9基となりました。
  


Posted by どせうの寝床 at 02:26Comments(0)粟田神社

2008年10月20日

粟田神社剣鉾奉賛会2008・感謝!



平成20年度の粟田祭も無事に終わり、もう1週間が経ちました。

今年は、鉾差しとしてデビューというのは、まだまだおこがましくて、

鉾差し見習いデビューをさせていただき、誠にありがとうございました。

何とか無事に務めさせていただくことができました。

それも、先生をはじめ、剣鉾奉賛会々長、

並びに、奉賛会・各神社の鉾差し諸先輩の皆様のご指導のお陰と存じます。

本当にありがとうございました!

まだまだの自分ですが、平成21年度も宜しくお願い申し上げます。


因みに、”かわ”、”千本”、”粟田”など、いろんな言葉も覚えました。

その意味のお話は、またあらためてご紹介したいと思います。


**********************************************

お祭を終えて21年度に向けて、というわけではないのですが、

来年の粟田祭に関して、会長のお許しも頂きましたので、

BIG NEWSをお知らせさせていただきます。


来年の粟田祭に供奉する予定の新鉾!を現在製作中です。

それは、”鶴”をモチーフにして、着々と製作は進んでいます。

おそらく名称は【鶴鉾】となるとのことです。

翼を大きく開いた鶴が、神額を真ん中にして向き合っている意匠です。


ここ粟田全体はもちろんのこと、

各神社の数々の剣鉾・鉾差しさん・鉾を守護し尽力されておられる方々、

またそれを各方面から支えていただいている皆さんが、

鶴の拡げた翼のごとく、大きく大きく繁栄していくことをお祈りしての「鶴鉾」です。



昨日(10/19)から1週間ばかり、粟田神社の絵馬堂で棹の絵付けが行われています。

下絵なしで棹に鶴の姿が描かれてゆきます。

プロの絵師による仕事を近くで見ることができますので、

ご興味のある方は、お気軽にどうぞ。

  


Posted by どせうの寝床 at 19:00Comments(0)粟田神社

2008年09月22日

思い出のアルバム~粟田祭1979年10月15日~

つい先日、昔の祭アルバムを久々に開く機会があり、

懐かしさの余りに、Blogにアップしてみたくなりました。

といっても、スキャナーがないので、デジカメで撮影してご紹介します。


1979年(昭和54年)の粟田祭・剣鉾当家飾りの様子です。

剣鉾のある数ある神社の中でも、

ここ粟田神社は、最多を誇る18基の剣鉾を守護しています。

その数を初めて知った時は、驚きと感動で手が震えたのを覚えています。


この年まで、祭礼日は10月15日(明治以前は旧暦9月15日)。

曜日に関係なく、毎年この日が祭礼日でした。

翌年の1980年(昭和55年)からは10月10日を祭礼日として、

元の15日は例大祭として神事のみが行われるようになりました。


余談話ですが、翌日の16日は岡崎祭(岡崎神社・東天王)ですが、
元々は同じ15日だったようです。
それが、寛永元年(1624年)といえば江戸初期、
9月15日の祭礼の日、粟田と岡崎の間で喧嘩が発生したようです。
お互いに張り合っての故か詳細はわかりませんが、その結果、
岡崎祭は翌年から祭礼を一日ずらして、16日に行うようになりました。(華頂要略より)
因みに、岡崎祭は、現在も10月16日に氏子祭が行われています。






◆御神宝  【阿古陀鉾】 東分木町・東姉小路町・石泉院町守護
  ※宵宮の夜渡り神事(れいけん祭)には、この阿古陀鉾と地蔵鉾が奉賛します。





◆第一 【地蔵鉾】 西村家(中之町)守護



◆番外 【桐 鉾】  中之町守護



◆第二 【柏 鉾】 元:東町守護(現:粟田神社)



◆【獅子牡丹鉾】 元:大井出町・今小路町守護(現:粟田神社)



◆第三 【三鈷鉾】 東町守護







◆第四 【菊 鉾】 堀池町守護





◆第五 【弓矢鉾】 五軒町守護






◆第六 【鷹羽鉾】 東小物座町守護
 ※この年は、残念ながら鉾飾りをされず、床の間の祭壇のみ。






◆第七 【葵 鉾】 今道町守護






◆第八 【橘 鉾】 分木町守護








◆第九 【松 鉾】 南西海子町守護






◆第十 【獅子牡丹鉾】 大井出町・今小路町守護








◆第十一 【瓜巴鉾】 西町守護






◆第十二 【垣夕顔鉾】 夷町守護




◆第十四 【竹虎鉾】 堤町守護








◆第十五 【琴高鉾】 西海子町守護






◆第十六 【日月龍鉾】 七軒町守護










第十三  葡萄栗鼠鉾(古川町守護)は、その当時もう長く当家飾りもされていなかった。
 写真も、モノクロのものを見たことがあるだけで、自分的には幻の鉾になっていた。
 しかし、去年4月11日に、はじめて粟田剣鉾奉賛会の練習に参加させてもらった時、
 葡萄栗鼠の金錺一式を見せてもらい、感動したのです。
 その時の模様は、こちら。
  


Posted by どせうの寝床 at 06:00Comments(4)粟田神社

2008年04月27日

粟田神社剣鉾奉賛会 平成20年度練習スタート!

『粟田神社剣鉾奉賛会』の平成20年度の練習が、4月9日から始まりました。

遅ればせながらの報告であります。

本当は3月26日が第一回目だったのですが、

生憎の雨模様で中止になってしまっての今回が第一回です。

この日は、ちょっと遅刻で駆けつけたんですが、

三条神宮道から一筋下がって、点滅信号の交差点を東へ曲がって、

粟田小学校沿いに登って行っていくと、聞こえてきましたよ、「チコリンチコリン」と。

久々の音色を耳にして、サブイボが出てきましたよ。

焦る気持ちを必死にこらえながら、参道を登ってゆくと「やってるやってる!」



皆さん、4ヶ月ぶりです。ご無沙汰してます。

一乗寺・八大神社剣鉾差保存会の大西先生も来られています。

練習用の鳳凰鉾を調整中です。



この日は、新調した剣先の調子を見るための試験差しも兼ねています。











今回、お客さんが来たはりました。

「粟田神社剣鉾奉賛会・KBSテレビ生出演」のところでもご紹介した、

『どこいこ 祇園祭ブログ2007 月鉾を密着取材!』ブログの

”gion-matsuriさん”とお友達さんのお二人です。

この気ままな『剣鉾BLOG』も見ていただいてるとのこと。

恐縮です。


因みに、今年度の粟田神社剣鉾奉賛会・練習予定はこのような予定です。

随時見学自由ですので、興味のある方は是非お越し下さい。



  


Posted by どせうの寝床 at 11:36Comments(4)粟田神社

2008年04月05日

「粟田神社剣鉾奉賛会」がKBSテレビで生出演

粟田神社剣鉾奉賛会が、KBSテレビで生出演されました。

もう先月の3月22日のことになりますが、

KBSテレビ番組「deちゅう」が最終回を迎えることになり、

去年9月に出演したご縁で、また声を掛けていただいたとのことで、

生番組の生出演でした。

オフシーズンから、キャンプ・練習無しで、ぶっつけ本番のオープン戦出場、

みたいな感じでしたが、若干の筋肉痛に見舞われながら、

粟田神社剣鉾奉賛会をはじめ、

八大神社・大豊神社・吉田今宮社・北白川天神宮の鉾差さんの協力体制で、

無事に鉾差しをされたそうです。

お疲れ様でした!



当日差された鉾は、【第十四・竹虎鉾】(堤町守護)で、

錺の意匠は、竹林を虎が駆けている姿を描いています。

特に螺鈿の長柄が素晴らしい輝きを放ってくれます。

この螺鈿の細工は、各所の剣鉾にも多く存在しているのですが、

巡幸中に急の雨に見舞われても、その螺鈿が雨に濡れることで、

さらにその輝きを増してくれるのです。



当日の模様は、以下のBLOGでリポートされていますので、ご覧下さい。

・粟田神社さんのBLOG
『神人不二 粟田神社社務のつれづれに』
KBS京都 「deちゅう」に剣鉾が出演予定

・gion-matsuriさんのblog
『どこいこ 祇園祭ブログ2007 月鉾を密着取材!』の
2008年3月22日 竹虎鉾@KBSホール
  


Posted by どせうの寝床 at 12:24Comments(0)粟田神社

2008年04月05日

粟田神社の剣鉾絵馬

平成二十年も、早や4月です。

年末からしばし滞ってしまってましたが、もう来月はケンチコリンの祭月なのです。

というか、4月29日には熊野神社の【烏鉾】が出ます。(拝殿にての飾り付けのみ)

剣鉾虫もネグラから這い出して動き出します。

先日、粟田さんに寄らしていただき、剣鉾の絵馬をお土産に買って帰りました。



絵柄は、【御神宝・阿古陀鉾】(東分木町・東姉小路町・石泉院町守護)。















本殿脇に、神輿の轅が置かれていました。







こちらの絵馬はもう十年以上前になるでしょうか。

もう忘れてしまったのですが、

粟田さんが剣鉾の絵馬を作られたという記事を、京都新聞で見つけまして、

即行で伺い買ったものです。

見ると最初は、 【第十六・日月龍鉾】(七軒町守護)の絵柄だったのがわかります。

先日、新たな絵馬を頂く時にお尋ねしたところ、

最初に作った「日月龍」の絵馬の在庫分が終了したので、

次に【阿古陀鉾】の絵柄で作られたそうです。

下の「粟田神社大祭だより」は、昭和59年・60年の粟田祭のパンフレットです。

当時は、まだ10月15日にお祭が行われていました。


  


Posted by どせうの寝床 at 11:00Comments(0)粟田神社

2007年12月19日

粟田神社・剣鉾手拭でカーテンの巻

2007年10月13日の記事 「粟田神社・剣鉾散見 ~手拭三題~」で、

現在、祭礼時に粟田神社で作られているは剣鉾の手拭シリーズを紹介したが、

昭和61年 (1986年)から始まった、以前のシリーズも存在していたのです。

それに関して、粟田のモリ太さん(http://awata.mikosi.com/ )にもコメントをいただいて

いましたが、その手拭が、正しくこれなのですね。


右から、御神宝「阿古陀鉾」、第一 「地蔵鉾」、 第三 「三鈷鉾」 、
     第二 「柏鉾」、 番外 「桐鉾」、 第四 「菊鉾」





右から、第五 「弓矢鉾」、第六 「鷹羽鉾」、第七 「葵鉾」、
     第八 「橘鉾」、第九 「松鉾」、第十 「獅子牡丹鉾」





右から、第十一 「瓜巴鉾」、第十二 「垣夕顔鉾」、第十三 「葡萄栗鼠鉾」、
     第十四 「竹虎鉾」、第十五 「琴高鉾」、第十六 「日月龍鉾」



しかし、この手拭が何故か風呂敷みたいに、大きな布になっているようです。

なぜ?なぜ?

種を明かすと、社務所のカーテンが手拭の縫い合わせで作ってあるのです。

なんとオシャレな、粟田神社ならではのカーテンです。

ちょうど室内の明かりがの染め柄を綺麗に見せてくれています。

昼間には見ることの出来ない、剣鉾ファン必見の風景なのです。  


Posted by どせうの寝床 at 11:30Comments(0)粟田神社

2007年10月13日

粟田神社・剣鉾散見 ~手拭三題~

しばらくお休みしておりましたが、

来月から本格的に再開させていただきます。

そこで”どじょうの寝床”を改め、”どぜうの寝床”で再出発いたします。

なんじゃ、同じやん!という方もおられると思いますが、そこはご愛嬌ということで・・・・


私のまだ数倍、剣鉾・祭ファンという怪物のような連れのところに寄ったところ、

こういうものを見せてくれました。


粟田神社大祭の剣鉾手拭です。

第一の地蔵鉾が平成11年ということは、御神宝”阿古陀鉾”が平成10年か?

しかし、第八の橘鉾が平成19年ということですが、計算が合わないんですけど。

地蔵鉾から橘鉾の間に、一基何鉾か入ってるのかな?

それとも、一回手拭を作らなかった年があったのか。 うむむぅぅぅ・・・


とにかく、順調に番外の桐鉾まで手拭になるには、あと9年後の平成28年!

さすが、剣鉾18基を誇る粟田さん!先は長いよぉ。(高木屋さん、リンクさせて頂きました)






おぉっと、白川に掛かる行者橋を渡る神幸列。

これは怖いですよ。マジで!鉾を差す時は、上を見て足元は見ないので、実際至難の業。

剣鉾が列を成して渡れたら、これは無形民俗文化財モンですよ。でも怖すぎる・・・





これはオマケです。春祭り!紫野・今宮神社の剣鉾の手拭。
これは、明治期に描かれた提灯の図案が数年前に見つかり、
それを記念して手拭を作られたとのことです。
町名の五櫻町は、五辻町と桜井町の二町を合わせた名称。

  

Posted by どせうの寝床 at 19:55Comments(0)粟田神社