2009年05月02日
神泉苑祭2009
神泉苑祭が始まりました。
5月4日まで、いろんな行事が盛りだくさんです。
お祭も楽しいですが、
ここではやっぱり”神泉苑狂言”が公演されます。
これは、春祭りの中でも、必見の行事です。
基本的に無料で鑑賞公開されていますが、
志納BOXをご用意されていますので、ぜひ、志しをお願いします。
神泉苑祭には、3基の剣鉾が守護されています。
名称は、
中が◆龍王鉾(りゅうおうぼこ)
左が◆金鵄鉾(きんしぼこ)
右が◆旭日鉾(きょくじつぼこ)
右の剣鉾は、日章鉾(にっしょうぼこ)という情報もあるのですが、
昭和50年ころにお聞きした時に、旭日鉾という鉾名が出ていましたので、
ここでは、旭日鉾としておきます。
剣鉾の状態は、非常に痛みが激しく、鉾差しには耐えられない状態です。
長柄も漆塗りは剥がれ落ちてしまっています。
製作年代は、箱書きや銘を確認していないので不明ですが、
金鵄鉾と旭日鉾は、明らかに近代以降になるでしょう。
意匠が、勲章から引用したものになっていますからね。
田中緑紅著(1969発行)「ふるさとの祭と行事」の神泉苑祭の項に、
昭和6年5月1日の祭礼写真が掲載されています。
その部分の解説文によると、一時中絶せられていた神泉苑祭が、
明治30年頃から再興されて、9月1日だった祭礼日も5月1日と改めた、
ということが書かれていました。
そのことから、剣鉾の製作年代は、おそらく再興時の明治30年頃ということが推測されます。
さらに当時の祭礼の様子が書かれています。
神輿は三条台若中によって舁かれていた、とありました。
”三条台若中”は、現在あの祇園祭の中御座(素戔嗚尊)を舁いている三若神輿会のことです。
巡幸列については、
太鼓-榊-舞獅子-神馬-稚児-剣鉾-神輿と続き、
楽人・神官が神輿の先に歩いたとあります。
特に面白いのは、住職(僧侶)が腕車に乗って供奉していたと書かれていました。
これは、神泉苑が東寺真言宗の寺院であるということによるもので、
神泉苑内の”善女龍王社”の祭礼が「神泉苑祭」ということなのです。
これは推測なのですが、明治30年頃に再興するまでの一時期中絶していたのも、
明治政府による廃仏毀釈・神仏分離政策が、
神泉苑祭の継続を不可能にしたのだと考えられます。
明治もこの頃になると、少しは神仏分離の嵐は緩くなってきたのでしょうか。
神泉苑狂言は、壬生狂言の流れを汲んでいます。
壬生狂言とおなじようにセリフのない無言劇です。
演者の声は聞こえませんが、
ガンデンデン…ガンデンデン…と鉦と太鼓・笛の音だけが神泉苑の境内に響いてきます。
奥をのぞくと、狂言がちらほら見えてきます。
ちょっと望遠でのぞき見・・・
狂言つながりで、こんなポスターもあります。
”千本えんま堂狂言”5月1日~4日までの公演です。
※以前の神泉苑祭記事です。
・「神泉苑祭2007 5月3日」
・「神泉苑祭2006」
5月4日まで、いろんな行事が盛りだくさんです。
お祭も楽しいですが、
ここではやっぱり”神泉苑狂言”が公演されます。
これは、春祭りの中でも、必見の行事です。
基本的に無料で鑑賞公開されていますが、
志納BOXをご用意されていますので、ぜひ、志しをお願いします。
神泉苑祭には、3基の剣鉾が守護されています。
名称は、
中が◆龍王鉾(りゅうおうぼこ)
左が◆金鵄鉾(きんしぼこ)
右が◆旭日鉾(きょくじつぼこ)
右の剣鉾は、日章鉾(にっしょうぼこ)という情報もあるのですが、
昭和50年ころにお聞きした時に、旭日鉾という鉾名が出ていましたので、
ここでは、旭日鉾としておきます。
剣鉾の状態は、非常に痛みが激しく、鉾差しには耐えられない状態です。
長柄も漆塗りは剥がれ落ちてしまっています。
製作年代は、箱書きや銘を確認していないので不明ですが、
金鵄鉾と旭日鉾は、明らかに近代以降になるでしょう。
意匠が、勲章から引用したものになっていますからね。
田中緑紅著(1969発行)「ふるさとの祭と行事」の神泉苑祭の項に、
昭和6年5月1日の祭礼写真が掲載されています。
その部分の解説文によると、一時中絶せられていた神泉苑祭が、
明治30年頃から再興されて、9月1日だった祭礼日も5月1日と改めた、
ということが書かれていました。
そのことから、剣鉾の製作年代は、おそらく再興時の明治30年頃ということが推測されます。
さらに当時の祭礼の様子が書かれています。
神輿は三条台若中によって舁かれていた、とありました。
”三条台若中”は、現在あの祇園祭の中御座(素戔嗚尊)を舁いている三若神輿会のことです。
巡幸列については、
太鼓-榊-舞獅子-神馬-稚児-剣鉾-神輿と続き、
楽人・神官が神輿の先に歩いたとあります。
特に面白いのは、住職(僧侶)が腕車に乗って供奉していたと書かれていました。
これは、神泉苑が東寺真言宗の寺院であるということによるもので、
神泉苑内の”善女龍王社”の祭礼が「神泉苑祭」ということなのです。
これは推測なのですが、明治30年頃に再興するまでの一時期中絶していたのも、
明治政府による廃仏毀釈・神仏分離政策が、
神泉苑祭の継続を不可能にしたのだと考えられます。
明治もこの頃になると、少しは神仏分離の嵐は緩くなってきたのでしょうか。
神泉苑狂言は、壬生狂言の流れを汲んでいます。
壬生狂言とおなじようにセリフのない無言劇です。
演者の声は聞こえませんが、
ガンデンデン…ガンデンデン…と鉦と太鼓・笛の音だけが神泉苑の境内に響いてきます。
奥をのぞくと、狂言がちらほら見えてきます。
ちょっと望遠でのぞき見・・・
狂言つながりで、こんなポスターもあります。
”千本えんま堂狂言”5月1日~4日までの公演です。
※以前の神泉苑祭記事です。
・「神泉苑祭2007 5月3日」
・「神泉苑祭2006」
Posted by どせうの寝床 at 11:59│Comments(0)
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