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2009年09月21日

大津祭・天孫神社の剣鉾~その後

大津祭が、9月16日の籤取り式を皮切りに、今年も始まりました。

去年の宵宮、剣鉾を偶然に神輿倉に見つけ、
薄暗い中のその姿を、僅かな灯りを頼りに、
それも興奮して携帯が手に着かず、それでも必死にカメラに収めたのが、去年の宵宮。
昨日のことの様です・・・・
やっと、一年越し願いが叶う時がやってきました。


大宮神輿の前に置かれていた剣鉾の額・金錺部分。

大津祭・天孫神社の剣鉾~その後

先月中頃、天孫神社に伺い、剣鉾について調べていることや、剣鉾を宵宮の晩に偶然見たことなどをお話しし、改めて見せていただきたい旨をお伝えしたところ快諾いただけたのです。

ただ、神輿倉の扉はお祭りにならないと開けないので、
9月の頭時分になったら改めて連絡して伺うこととなり今しばらくのお預け。
そうして先日、めでたく一年越しの願いが叶い、しっかりと剣鉾を拝むことが出来たのです。

去年の天孫神社剣鉾の項で、明治2年の大津祭曳山番付に、荷鉾の姿で1基が描かれていることはお伝えしていましたが、
今回の剣鉾拝見で2基あることがわかりました。

大津祭・天孫神社の剣鉾~その後

中央に、”けんぼこ”として描かれているのが見えています。
前にもう1基描かれているのは剣鉾ではなく、
幸鉾(さいのほこ)と呼ばれるもので、三本鍬のような姿をしています。
神幸列の最先頭を行き、列を導く役目をしています。


現在、それぞれの剣鉾に、固有の名称があったのかはわからなかったのですが、
その姿形は全くの同一であったので、
区別しやすいように、ここでは仮にA・Bという名称をつけて呼ぶことにします。


これは、大宮神輿の前に置かれていた方の”剣鉾A・表全体”。

大津祭・天孫神社の剣鉾~その後


去年は雲形と書いていましたが、額部分は水紋で縁を囲い、
中央には表裏とも同じく”天孫第四宮”と神社の名が入っていました。


大津祭・天孫神社の剣鉾~その後大津祭・天孫神社の剣鉾~その後大津祭・天孫神社の剣鉾~その後大津祭・天孫神社の剣鉾~その後
   剣鉾A・額表     剣鉾A・額裏      剣鉾A・裏全体     剣鉾A・上部


この鉾を乗せている台は、”剣鉾A・上部”の画像を見ると、
まねき(剣先)を抜いてから、この台に据える仕組みになっていることがわかります。
これは、京都市内の鉾当家で見られる様な、剣鉾当家飾り用の台ではなく、
単に、額に金錺を付けた状態で保管するための台の様に伺えます。



こちらがもう一基、二宮神輿の前に置かれていた剣鉾B。

大津祭・天孫神社の剣鉾~その後


大津祭・天孫神社の剣鉾~その後
二宮神輿の前の”剣鉾B・表全体”。


大津祭・天孫神社の剣鉾~その後大津祭・天孫神社の剣鉾~その後大津祭・天孫神社の剣鉾~その後大津祭・天孫神社の剣鉾~その後
   剣鉾B・額表     剣鉾B・額裏      剣鉾B・裏全体     剣鉾B・上部


大津祭・天孫神社の剣鉾~その後

額の構造が、一般的な剣鉾の構造とは異なっているのがわかります。
普通、金錺は額の切り込み穴に錺の脚を差し込んで装着するのに対して、
この剣鉾では、額そのものに短い腕が付けられていて、
その腕に錺の先を差し込んで組み立てる構造にまっています。
そして、根元でピンを差して固定しているのです。

この構造から判断できるのは、
最初は差鉾であったものが途中から荷鉾に変わったものでは無いということが考えられます。
この構造では、差鉾として巡幸した時の振幅に対する耐久性に欠けており、
この形で差されたなら、発生した振幅運動で金属疲労を起した錺は、
巡幸途中に根元から折れてしまうでしょう。

さらに、この大きな構造の違いは、
剣鉾を知る職人によって製作されていないことが考えられます。
最初から荷鉾として作ったとしても、剣鉾を知る職人であれば、
本来の剣鉾の構造を踏襲して製作にあたるのが普通で、
額・錺の組み立て構造を、この仕組みに変えてしまうことは考えられません。

明らかに組まれて状態で巡幸する剣鉾の姿かたちを写してきて、
その姿を再現しようとした人がいたのです。
そして、その指示のもとに製作に当たった錺師がいた、
と考えるのが自然ではないかと思われます。
おそらく、近江の錺師の手によって製作されたのではないでしょうか。

また、この剣鉾の菊の意匠が非常に具象的なものになっていることから、
紫野・今宮神社や上御霊神社の剣鉾の姿をヒントにして、
製作に当たったのではないかと思われます。



これは、二宮神輿の傍らに置かれていた長柄です。
この太さは、去年の記事でも書いたように、非常に太いものです。
剣尻を差し込む長柄の先の穴は、相当痛みが出ているようです。

大津祭・天孫神社の剣鉾~その後



大津祭・天孫神社の剣鉾~その後

錺金具は雲形の意匠で飾られています。
鈴吊り棒や棗(なつめ/打ち金)もしっかりと残っています。



大津祭・天孫神社の剣鉾~その後

さらに下部に移ると、波しぶきの上を鶴が舞っている姿の錺になっています。


これ以外の剣先や鈴、その他に吹散りや荷いの枠など、多数の剣鉾部品に関しては、
箱に入ったまま何十年もさわっていないとのことで、今回拝見することはできませんでした。
今後、神輿を動かすというお話があったときに、その機会が訪れるかもしれません。


あと疑問点として、まったく同じ姿の剣鉾が2基あって、巡幸列次第がどうしていたのでしょうか。
2基ならんで神幸列の先頭もしくは第一陣を形成したのでしょうか。
それとも、大宮と二宮の神輿にそれぞれ先導して供奉していたのでしょうか。

同じ意匠の剣鉾が2基ならんでもお祭として面白くないと思うのです。
面白くないというのは語弊がありますが、
列を構成する上でも、あまり考えにくいのです。
御香宮の伏見祭には、まったく同じ姿の鉾が9基存在していて、
巡幸がどのよううに行われていたかはわからないのですが、
仮に9基連なって巡幸してたとしても、その”九”という数に、
伏見九郷の意味が込められていたと考えたとすれば、
それはそれで充分意味のあることだと思うのです。
ならば、ここ天孫神社の2基が瓜二つの剣鉾であるのであれば、
その”二”には、何か意味があるのでしょうか。
2基連なるのではなく、2基の神輿にそれぞれ付いたのであれば、
それはそれで意味が出てくると思うのです。
しかし、明治2年の絵図では、1基ながら神輿から遥か前方の列先頭に列して巡幸する姿が描かれています。
昔に行われていた巡幸列次第が見つかれば、
この2基必要だった意味と目的がわかるかもしれません。
まだまだ、新たな宿題が出てきました。



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