大豊神社 5月4日 永観堂町・剣鉾の鉾差し練習

どせうの寝床

2007年06月04日 13:24

3日の御旅所前に引き続きまして、

大豊神社 5月4日 永観堂町 『観音鉾』 の鉾差し練習・調整であります。

好天に恵まれ、青空に観音鉾が輝いておりました。

明日(5日)の本祭も、この天気がもってくれたら最高です。




大豊神社には「観音鉾」という名称の剣鉾が2ヶ町で存在していて、
この永観堂町の「龍」金錺の観音鉾と、
もう一ヶ町は、若王子町の「菊」金錺の観音鉾です。


そうして、大豊神社の剣鉾は、現在7基存在しています。

・鹿ケ谷桜谷町の菊鉾と扇鉾。
・永観堂町の観音鉾(龍)。
・若王子町の観音鉾(菊)。
・南禅寺北ノ坊町の葵鉾。
・南禅寺下河原町の菊鉾。
・南禅寺草川町の牡丹鉾。

桜谷町の菊と扇は、毎年巡幸参加し、
他の5基は、年番制で5年に一度の巡幸参加をしています。
つまり、毎年3基の剣鉾が、巡幸に参加し、鉾差しによって差されているのです。
もう昔々、私が20年前程前に伺った話では、
戦前には8基の剣鉾があったらしいのですが、定かではありません。



いよいよ、組立から始まります。



少なくとも、この鉾が差されたのは5年前。各部を細かくチェックしながら組み立てていきます。



金属は強いようですが、金属疲労で眼に見えない亀裂が入っていたり、
意外にもろく壊れてしまうものなのです。
巡幸の最中に破損したりしないよう、丹念にチェックしておきます。





見事な阿形(陽/日)・吽形(陰/月)の龍です。



金錺の細工が細かく、重厚な趣きの鉾です。
ただ風が吹くと、風抜けが悪いので、
差すのが難しいかもしれません。
真ん中の額には、表に「大豊大明神」、
裏には「観音鉾」と書かれています。


剣鉾の組立を順に追ってみました。
麻縄をどう掛けていくか、それぞれの縄・紐がどういう役目をしているのか、
よーく観察して覚えてみましょう。
まだまだ、結びは覚えていないのですが。。。

スタートは額の上から。
【A】 縄を二等分して真ん中で折り、その縄の折りセンターで、額上の処の剣と竹を締めこみます。
結びは、何結びでしょうか?巻き結びかな?わからんです。。。

      【A】           【B】           【C】            【D】
【B】 そこから、ほぼ水平に縄を左右に伸ばして絡めて行きます。
そして左右に出して一穴潜らせてすぐ、一旦縄を戻して張った縄に引っ掛け、
それから上下逆に戻って一つ目の穴を潜らせます。
そうすることで、剣と金錺の隙間が締まり、組み立て中に緩みが出ずに位置が固定できます。
そこから、左右対称に縄を金錺の穴を上下に潜らせながら、鈴吊りの処まで持ってきます。
【C】 張りすぎず緩すぎずの頃合いの強さで位置決めし、鈴吊りの棒の下でクロスさせます。
【D】 そうして、そのまま轅(ナガエ)に一度巻き付け、上がってきた縄を、
今度は渡っている縄に上からかぶせて押さえ込むように締めます。
これで縄がグンと張り、鉾全体が引き締まります。そのまま、縄を轅に数回締めこみます。
【E】 轅に数回締めこんだ後、再び縄を元来た道の左右方向へ、螺旋状に絡ませながら返してゆきます。ただ、金錺の穴を潜らす時は、上下が往路とは逆になるように走らせます。
まるで、大きな縫い物をしているような感じですね。

      【E】           【F】           【G】           【H】
そうして、額上の処まで戻ってきたら、剣・竹をまた数回締め込み、最後にX型に結びます。
ちょっと、文章で説明できません。
【F】 次に、鈴(りん)を結び付けます。杭の先端の穴に、鈴の縄を左右から差込み、
長ければ杭に締めて巻きつけて行き、最後に結びます。
【G】 その時、轅の棗(ナツメ・打金部分)に、鈴が往復の前後でちゃんと当っているか確認します。
【H】 最後の締めくくりです。
先程よりもやや細い麻紐を、鈴吊りの棒下で巻き結び?(わからん)とにかく締め、
そこから2本の紐を縒りながら鈴吊りの棒の先端のリング下まで上げてきます。
そして、そこで仮押さえしている内に、他の誰かに2本の紐をV字形に左右方向へ出しもらいます。
次に、額と受金の境目か、若干上くらいの位置から左右水平に目線を伸ばします。
そして、そのラインと先程の金錺を締めこんだ麻縄との交点に目を付けます。
その目を付けたポイントの麻縄と金錺を、V字左右に伸ばしてきた麻紐で一回潜らせて、
それからUターンして、再び鈴吊りの棒まで戻します。
その時、ただきれいにUターンして戻すのではなく、往路の紐に一回絡んでから復路を戻るようにします。その方が、紐が2本に分かれず若干のテンションが掛かり、緩んだ時にも縺れずに済みます。
戻ってきた紐を棒の前で一度クロスさせ、棒に巻きつけ前に戻ってきたのを、
下からすくい上げる様にしてV字紐を巻き込み、再び下げてから棒に巻き締めこんで行きます。
余った紐はそのまま巻きつけ、最後は結び終えます。

さて、このV字紐ですが、何の役目をするものでしょうか?
剣や金錺は、既に太目の麻縄でしっかりと締め付けられています。
これ以上、こんな細い紐で縛る必要があるんでしょうか。

答えは、↓下の「鉾建て」に少しヒントがあります。

~剣鉾を建てる降ろす~の項でも書いたことですが、
剣鉾を建てたり、寝かせたりする時、必ず鉾錺が縦になる状態で上げ下げします。
下の画像もそうして鉾を建てているでしょ。
ちょうど、包丁を振り上げたり、振り下げたりする様な感じです。

これは、剣鉾が前後にしなってお辞儀しやすい構造であるがゆえ、
正面を向けたまま上げ下げすると、鉾の首部分に掛かる荷重は、
その耐久強度の限界を、軽く超えてしまうのです。
つまり、鉾首から折れてしまうと言うことなのです。
それが、鉾を縦にすることで強度も増し、しなりも起さないのです。

しかし、上げ下げが繰り返し何度もあると、思いかけずに水平になる時も出てくるのです。
その時の安全弁として、この紐があるのです。
これがあるお陰で、正面を上にしての仰向け水平で鉾が寝てきたとしても、
最悪折れることはありません。
それは、この2本の紐が、鉾頭を垂れさせずに引っ張ってくれているからなのです。
構造的は、吊橋と同じ原理ですね。
因みに、うつ伏せ水平状態で鉾を寝かせると、いとも簡単に鉾首から折れちゃうでしょう。



鉾当家さんの前で、試し差しです。
剣先の招く振幅、鉾全体の振幅、鈴の振幅、轅のしなり、全体のバランスがどうか、チェックです。





剣の招き具合がちょっと硬いということで、額の上に突き出る竹を少し短くしました。

僅か1cmほどでも、剣先の振れが大きく変わってきます。



さあ、調整ができたので、表で鉾を差してみましょう。
ここ永観堂町は「哲学の道」への入口になるところ。
5月4日ということもあり、観光客のギャラリーの大勢観覧してます。






調整も完了。明日(5日)の本祭を控えて、最終の差し収めです。



鉾はバラさずに、このまま当家さんの座敷に収められます。




観音鉾当家さんの鉾飾りです。
留守鉾が美しい姿を見せてくれました。
祭壇には軸が掛けられ、大豊大明神・天照大神宮・愛宕大権現と書かれています。
背後の屏風には、見事な龍の絵が描かれています。





剣の根元に銘が入っていました。年号は寛文十年九月。
西暦で1670年ですので、江戸初期の時代になります。



57年ぶりに神輿が舁かれて巡幸に出ます。
金具類も綺麗にお化粧直しをして、まるで新調されたごとくの輝きです。




各剣鉾たちの轅が掛けられていました。






さあ、後は明日の天気がいいことを祈るのみ、ということです。







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