2019年02月11日
剣鉾・顔面カタログ 「晴明神社 菊鉾」
晴明神社 菊鉾 菊鉾会守護
晴明神社には、菊・扇二基の剣鉾がある。
現在、両鉾とも神社に戻っているが、
もともと氏子町内での預かりであった。
この菊鉾は、竪神明町守護。
2009年10月03日
晴明神社・晴明祭2009
晴明神社・神幸祭が、9月23日(水・祝)に行われました。
掻い摘んで、ちゃちゃっと覗いただけという、
誠に神さんに失礼な見方になってしまいました。
安倍晴明さん、ばち当てんといて下さい!
剣鉾に関して、例年通り変化はないとわかっていても、一応はこの目で見ておかないと、
どんな変化があるかわからない最近の剣鉾情況。
嬉しくもあり、不安もあり・・・です。
今出川智恵光院で神幸列を捕捉。
時代祭さながらの少年少女鼓笛隊を先頭に、菊鉾・扇鉾が荷鉾の姿で続きます。
◆菊鉾
◆扇鉾
この晴明さんの荷鉾ですが、本当は曳車鉾と呼んだ方が正しいかもしれません。
というのも、荷鉾と呼ばれている鉾たちは、
車輪が付くまでは、人が神輿の様に台枠を担って巡幸していたのです。
祇園祭の山もそうですよね。
しかし、晴明さんの荷鉾は製作された当初より玉が付いていました。
去年の晴明祭の記事にアップしていますが、昭和47年9月の作です。
2008年09月23日
『晴明祭』 2008年9月23日
陰陽道の祖として安倍晴明を御祭神としてお祀りしている「晴明神社」のお祭が、
秋分の日の今日、執り行われました。
天気は暑いくらいの好天で、時代祭の維新勤王隊も顔負けの晴明祭「少年鼓笛隊」も、
なかなかの見物でした。
ここ晴明さんには、『菊鉾』・『扇鉾』の2基が神幸祭に供奉します。
この剣鉾2基とも神社の守護で、形は差し鉾ではなく、
小さな御所車のついた台車に差されて巡幸する枠造になっています。
◆菊 鉾
◆扇 鉾
境内の方も覗いてみました。
昼店が沢山出ていて、お祭の雰囲気がぷんぷん。 いいですねぇ。
小学生の頃、お祭臨時小遣いを500円くらい貰って、
昼から夜まで走り回っていたのを思い出します。
出発の13時がもうじきです。神幸列の順番に並んでゆきます。
剣鉾にも、白丁たちが並び出しました。
神幸列の先頭を行く、「少年鼓笛隊」の記念撮影大会?です。
見物客と、鼓笛隊の保護者・家族と、私みたいに写真撮影する人と、
もう入り乱れてすごいなんのって。
写真屋さんが撮影しようとしても、
それどころの話とちゃいますね。
さあ、こっち見てやぁ!
顔、隠れてへんか!
あっ、そこの子。 もうちょっと右に・・・そうそう。
そうや、そのまんま、動かんといてや!
はい、撮りま~す!
パシャ! はい、OKでーす。
~神幸祭の巡行コースは~
西陣織会館(13:00出発)~(15:00着)西陣中央小学校(15:30出発)~(17:00着)晴明神社
西陣織会館(南) → 中立売通(西) → 猪熊通(北) → 元誓願寺通(東) → 葭屋町通(南) →
一条通(西) → 大宮通(南) → 中立売通(西) → 旧大宮通(南) → 下長者町通(西) →
松屋町通(北) → 一条通(西) → 智恵光院通(北) → 栄町(西) → 大宮通(北) →
元誓願寺通(東) → 智恵光院通(北) → 今出川通(東) → 大宮通(北) → 西陣中央小学校
→ 大宮通(北) → 五辻通(西) → 智恵光院通(北) → 紋屋町(東) → 大宮通(北) →
寺ノ内通(東) → 猪熊通(南) → 今出川通(西) → 大宮通(南) → 元誓願寺(東) →
黒門通(南) → 下長者町通(東) → 葭屋町通(北) → 晴明神社
狭い葭屋町通を、道幅いっぱいに行列がやってきた。
あまりの暑さに、鼓笛隊も若干バテぎみ?かな。
緑の棹持ちは、剣鉾のマネキ(剣)が架線に引っかからない様にする、
呼ぶならば、架線持上げ係。(そのまんまやん!)
そのあとに、かわいい八乙女の列が続きます。
やや小振りながら、いい形の八角神輿です。
やっぱり、晴明さんのお祭の醍醐味というか楽しめるところは、
お祭の行列が、上京・西陣の狭い通りを、縫う様に通り抜けてゆくところにあると感じましたね。
最近では、交通事情や時間的規制によって、神幸道が変わってしまったり、
また、昔ながらの街並みが消えてしまうことで、行列が通っても見物するものがいない、
といった景色を見ることがあります。
ここ晴明神社のお祭は、子供たちの参加も多いし、お年よりも沢山見物に出てきておられて、
活気に満ちて、それでいて、ほのぼのとしたお祭の雰囲気をもっていました。
★2006年の社務所での鉾飾りの様子はこちらです。
秋分の日の今日、執り行われました。
天気は暑いくらいの好天で、時代祭の維新勤王隊も顔負けの晴明祭「少年鼓笛隊」も、
なかなかの見物でした。
ここ晴明さんには、『菊鉾』・『扇鉾』の2基が神幸祭に供奉します。
この剣鉾2基とも神社の守護で、形は差し鉾ではなく、
小さな御所車のついた台車に差されて巡幸する枠造になっています。
◆菊 鉾
◆扇 鉾
境内の方も覗いてみました。
昼店が沢山出ていて、お祭の雰囲気がぷんぷん。 いいですねぇ。
小学生の頃、お祭臨時小遣いを500円くらい貰って、
昼から夜まで走り回っていたのを思い出します。
出発の13時がもうじきです。神幸列の順番に並んでゆきます。
剣鉾にも、白丁たちが並び出しました。
神幸列の先頭を行く、「少年鼓笛隊」の記念撮影大会?です。
見物客と、鼓笛隊の保護者・家族と、私みたいに写真撮影する人と、
もう入り乱れてすごいなんのって。
写真屋さんが撮影しようとしても、
それどころの話とちゃいますね。
さあ、こっち見てやぁ!
顔、隠れてへんか!
あっ、そこの子。 もうちょっと右に・・・そうそう。
そうや、そのまんま、動かんといてや!
はい、撮りま~す!
パシャ! はい、OKでーす。
~神幸祭の巡行コースは~
西陣織会館(13:00出発)~(15:00着)西陣中央小学校(15:30出発)~(17:00着)晴明神社
西陣織会館(南) → 中立売通(西) → 猪熊通(北) → 元誓願寺通(東) → 葭屋町通(南) →
一条通(西) → 大宮通(南) → 中立売通(西) → 旧大宮通(南) → 下長者町通(西) →
松屋町通(北) → 一条通(西) → 智恵光院通(北) → 栄町(西) → 大宮通(北) →
元誓願寺通(東) → 智恵光院通(北) → 今出川通(東) → 大宮通(北) → 西陣中央小学校
→ 大宮通(北) → 五辻通(西) → 智恵光院通(北) → 紋屋町(東) → 大宮通(北) →
寺ノ内通(東) → 猪熊通(南) → 今出川通(西) → 大宮通(南) → 元誓願寺(東) →
黒門通(南) → 下長者町通(東) → 葭屋町通(北) → 晴明神社
狭い葭屋町通を、道幅いっぱいに行列がやってきた。
あまりの暑さに、鼓笛隊も若干バテぎみ?かな。
緑の棹持ちは、剣鉾のマネキ(剣)が架線に引っかからない様にする、
呼ぶならば、架線持上げ係。(そのまんまやん!)
そのあとに、かわいい八乙女の列が続きます。
やや小振りながら、いい形の八角神輿です。
やっぱり、晴明さんのお祭の醍醐味というか楽しめるところは、
お祭の行列が、上京・西陣の狭い通りを、縫う様に通り抜けてゆくところにあると感じましたね。
最近では、交通事情や時間的規制によって、神幸道が変わってしまったり、
また、昔ながらの街並みが消えてしまうことで、行列が通っても見物するものがいない、
といった景色を見ることがあります。
ここ晴明神社のお祭は、子供たちの参加も多いし、お年よりも沢山見物に出てきておられて、
活気に満ちて、それでいて、ほのぼのとしたお祭の雰囲気をもっていました。
★2006年の社務所での鉾飾りの様子はこちらです。
2006年09月24日
晴明祭 9月23日 続報
晴明祭が今日無事に行われたはず。というのも、私事でどうしても行くことが出来ないので、
22日に剣鉾そのほか、神社の風景を見てきました。
●扇 鉾 典型的な扇鉾のスタイルをしています。晴明神社の鉾は枠造りの荷鉾(にないほこ)なので、風の影響は無視できるのですが、本来風を起こす道具の扇なので、風をはらみ易く差鉾(さしほこ)の」場合、非常に熟練を要する鉾の種である。
●菊 鉾 菊の意匠をつかった鉾は市内各所の祭礼で見られるが、それは剣鉾の御寄進が皇室・皇族よりのことが多いことがその理由と思われる。晴明神社の菊鉾は、紋章化された菊をモチーフにしたタイプではなく、立体的な菊花と葉を板金からおこして作られている。また、受金が雲形になっているところなど、このスタイルは前回にも書いていたが、紫野の今宮祭や上御霊祭の剣鉾たちの影響を色濃くみることができる。
社務所の座敷に剣鉾に2基のお飾りがされています。その中央の床には、安倍晴明さんの御影が下げられています。境内の参拝者は、地元の方々というよりも、観光に来られての参拝者がほとんどのように見受けられました。
参道と神社の前には、店が建ち並んでお祭の雰囲気を盛り上げてくれます。
しかし、祭当日の巡行に来れないのは痛いです。
剣鉾の写真だけでお許し下さい。
22日に剣鉾そのほか、神社の風景を見てきました。
●扇 鉾 典型的な扇鉾のスタイルをしています。晴明神社の鉾は枠造りの荷鉾(にないほこ)なので、風の影響は無視できるのですが、本来風を起こす道具の扇なので、風をはらみ易く差鉾(さしほこ)の」場合、非常に熟練を要する鉾の種である。
●菊 鉾 菊の意匠をつかった鉾は市内各所の祭礼で見られるが、それは剣鉾の御寄進が皇室・皇族よりのことが多いことがその理由と思われる。晴明神社の菊鉾は、紋章化された菊をモチーフにしたタイプではなく、立体的な菊花と葉を板金からおこして作られている。また、受金が雲形になっているところなど、このスタイルは前回にも書いていたが、紫野の今宮祭や上御霊祭の剣鉾たちの影響を色濃くみることができる。
社務所の座敷に剣鉾に2基のお飾りがされています。その中央の床には、安倍晴明さんの御影が下げられています。境内の参拝者は、地元の方々というよりも、観光に来られての参拝者がほとんどのように見受けられました。
参道と神社の前には、店が建ち並んでお祭の雰囲気を盛り上げてくれます。
しかし、祭当日の巡行に来れないのは痛いです。
剣鉾の写真だけでお許し下さい。
2006年09月20日
晴明祭 9月23日
今年も晴明神社のお祭が、今週末に行われます。
もちろん、剣鉾は菊鉾、扇鉾の2基が出てきます。
鉾の形は、真ん中に額を持ったタイプで、
紫野今宮神社の影響があるのでしょうか、
金錺の形は、菊・扇ともに今宮祭の菊鉾・扇鉾とよく似ています。
鉾は、社務所の座敷・床の間に飾られているようですが、お祭までは見ることができないようです。
御神輿は、飾り付けられていました。
晴明神社の氏子は、今宮神社の氏子区域と重なっているので、
春5月は今宮祭、秋の9月は晴明祭。
年に2回もお祭があっていいです。
それに、9月15日は首途八幡宮(かどではちまんぐう)の例大祭もあったんですね。
この首途八幡宮は、源義経が奥州平泉に向かって出発する際、
道中の安全を祈願したと伝えられています。
先年の大河ドラマ「源義経」では、小さな御社に沢山の参拝者が押し寄せたらしいです。
もちろん、剣鉾は菊鉾、扇鉾の2基が出てきます。
鉾の形は、真ん中に額を持ったタイプで、
紫野今宮神社の影響があるのでしょうか、
金錺の形は、菊・扇ともに今宮祭の菊鉾・扇鉾とよく似ています。
鉾は、社務所の座敷・床の間に飾られているようですが、お祭までは見ることができないようです。
御神輿は、飾り付けられていました。
晴明神社の氏子は、今宮神社の氏子区域と重なっているので、
春5月は今宮祭、秋の9月は晴明祭。
年に2回もお祭があっていいです。
それに、9月15日は首途八幡宮(かどではちまんぐう)の例大祭もあったんですね。
この首途八幡宮は、源義経が奥州平泉に向かって出発する際、
道中の安全を祈願したと伝えられています。
先年の大河ドラマ「源義経」では、小さな御社に沢山の参拝者が押し寄せたらしいです。