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Posted by 京つう運営事務局 at

2010年05月03日

大豊神社・御旅所前にて

大豊神社の御旅所前(哲学の道)にて、

5月4日の氏神祭本番に向けて、練習会が行われていました。



当日は、剣鉾御幣守りの授与も行われました。
御幣御祈祷料を納めていただいた方に、剣鉾の厄除け鉾差しです。




  


Posted by どせうの寝床 at 10:20Comments(2)大豊神社

2010年03月31日

大豊神社 哲学の道で鉾差し披露 4月4日

鹿ケ谷の大豊神社の御旅所前で、4月4日(日)午後1時より、桜谷町の菊鉾と扇鉾が差されます。

その際、剣鉾御幣守りが限定販売で授与されます。

桜並木で有名な、哲学の道のちょうど中間あたりです。




お花見で来らるのでしたら、京都の祭の剣鉾を見ていただける、

貴重な機会ですので、是非お越しください。

人数は限られますが、希望の方は実際に鉾差しの体験もしていただこうと考えております。




  


Posted by どせうの寝床 at 13:55Comments(5)大豊神社

2010年02月11日

大豊神社2010年氏神祭・剣鉾ニュース

先日の2月7日、BIGニュースが飛び込んできた。

鹿ケ谷・南禅寺の産土神である大豊神社「大豊講社剣鉾保存会」の会長から連絡があり、

2010年5月4日の氏神祭で、大豊神社の剣鉾7基すべてが巡幸に供奉することが決まった。


大豊神社の創建は仁和三年(887)。昭和62年(1987)に創建1100年を迎え、

本来はその年の氏神祭を記念祭として剣鉾の奉賛も考えられたが、

各町剣鉾の修繕修復が成っていなかったので、勢揃いが叶わなかった。

しかし、1100年から23年を経た今年、揃って祭礼に出せる状態に至り、

目出度く7基が揃っての巡幸が決定されたのです。


来る5月4日は、是非、大豊神社の氏神祭に足を運んでいただきたい。

京都の祭の真骨頂、剣鉾祭の醍醐味を充分に味わって頂くことが出来ると思う。

7基が揃っての巡幸は、この機会を逃すと、おそらく見ることはできないだろう。



 ※昭和55年5月11日、南禅寺参道沿いにての小休止。鉾差三人の着物は「葵鉾」のもの。
   当時は、桜谷町の菊鉾と扇鉾が交互で寝かせて担ぎ参加。
   他の5基が年番ローテーション参加で鉾差しによって差されていた。
   毎年2基が神輿巡幸に供奉し、この年は菊鉾と葵鉾だった。



この機会に、大豊神社の7基の剣鉾をご紹介しましょう。
大豊神社は、各鉾町が剣鉾を守護しています。


・菊鉾/桜谷町




・扇鉾/桜谷町





・葵鉾/北ノ坊町
  葵鉾の本鉾/昭和55年5月11日の祭礼時の撮影。
  粟田神社の葵鉾と瓜二つ。双子と言っていいほど酷似している。




  これは、昭和55年当時の、鉾当家での当家飾り。剣鉾は葵鉾の留守鉾。







・菊鉾/若王子町
  菊鉾の本鉾/やはり、昭和55年の祭礼時の鉾当家での鉾飾り。



  こちらは、菊鉾の留守鉾。しかし、この大胆な菊の意匠は圧巻である。
  大豊の剣鉾の中で唯一、中央の額が神額タイプではなく十六菊紋である。
 




・観音鉾(龍)/永観堂町
  意匠は日月龍ながら、鉾名は観音鉾。




・観音鉾(菊)/下河原町
  この剣鉾も意匠は菊ながら観音鉾という。額には神社号は入らず「観音戈」と入っている。




・牡丹鉾/草川町
  2008年に見事に復調なって、美しい姿で巡幸に供奉。初夏の空に輝きを放って眩しい。





■大豊神社


  


Posted by どせうの寝床 at 21:28Comments(7)大豊神社

2009年05月03日

大豊神社2009・御旅所飾り付け&牡丹鉾調整

好天に恵まれた4月29日、
大豊神社の御旅所で飾り付けが行われました。
一年振りに見る神輿は、去年と変わらず輝いていました。






お手伝いに声を掛けて頂いての参加でしたので、
撮影ばかりにうつつを抜かしてはいられません。お飾りほぼ完成状態で数枚撮影となりました。
でも、まだ御供物やご献酒がならんでいないので、神輿がよく見えますねえ。

で、このあと、牡丹鉾の調整が南禅寺草川町の当家さんで行われます。



長柄を担いで、南禅寺前の当家さんまで歩いていきます。



牡丹鉾は去年、まねき・金錺・長柄など一式を修理し、新鉾の輝きが甦りました。






その御披露目として去年はイレギュラーで巡幸に供奉しましたが、
今年は5年に一度の廻り番での参加となります。

この流れで、牡丹鉾も桜谷町の菊鉾・扇鉾と同じように、
毎年の参加になれば素敵なんですが。

大豊の各鉾当家さんは、剣鉾が巡幸に出ることに非常にご理解が深く、
特に、牡丹鉾の当家さんは、鉾差し巡幸参加への思いを強く持って頂いてまして、
剣鉾を愛する者にとって心強い存在なのです。



さてさて、”まねき”を去年仕舞う時に、高級ワックスを掛けて納めたのですが、
クスミが出ていないかどうか、心配心配・・・
今までですと、手垢や汚れなどで剣の表面が腐食して、
一年経つとその跡がなかなか磨いても取れないのですが、
今回のワックスという新しい試みが吉と出るか否か、
これは開けるまでわからないのです。





うむむ。うん、大丈夫、いいみたい。



輝きは去年のままでいてくれました。


まねきを挟む竹の作り直しです。



牡丹鉾の棹の先端の穴の大きさと、額・受金の穴の大きさは、それぞれが相当大きく、
去年使った竹では、左右にブレが生じるほどにサイズが合っていないようです。

この穴のサイズが一様でないため、竹の形状が他の剣鉾ではあまりない形になりそうです。


かたや、長柄のナツメ部分を磨きに磨きを重ねて、ビカビカに光らしている方は誰でしょう。





竹が出来上がったので、試し差しをするために仮組みです。






やはり調子は硬すぎです。
穴の大きさに合わすために、竹を厚くしたことで、前後にしなる動きをさまたげているようです。







回数にすると、もう4~5回組み直したでしょうか。
竹の横幅はそのままで、厚みだけを薄くして、ガタつきが出ないようにしながら、
竹に鉋を掛けて薄くしてゆき、柔らかくなるように削ってゆきました。




時間も、もう午後5時を回ってやっと調子を合わすことができました。



さていよいよ本祭まで間近です。
次は、5月3日の御旅所前での練習があって、本番を迎えます。  


Posted by どせうの寝床 at 02:28Comments(6)大豊神社

2009年04月26日

大豊神社で御幣作り

2009年も春祭りシーズンがやってきました。

先週の日曜日・4月19日、大豊神社で御幣作りが行われました。

粟田の剣鉾奉賛会会長より、現場リポートをいただきました。

ありがとうございます。



今年、初お目見えになります”剣鉾の御幣お守り”です。



鉾差しのメンバー10人ほどが集まりました。



最初としては上出来で、剣の製作が一番時間が掛かったようです。



本番が楽しみです。



ものの4時間ほどで、120数本を作り上げることが出来たとのことです。




今年の氏神祭のポスターです。



お祭りは5月4日、剣鉾鉾差しも要所要所で行われます。

南禅寺前から疎水インクラインの間での、鉾差しが見所でしょうか。


本来5月9日が祭礼日でしたが、近年は5月5日に行われるようになっていました。

去年からは5月4日に決まり、剣鉾・神輿などますます盛大になってきています。  


Posted by どせうの寝床 at 02:22Comments(7)大豊神社

2007年06月04日

大豊神社 5月4日 永観堂町・剣鉾の鉾差し練習

3日の御旅所前に引き続きまして、

大豊神社 5月4日 永観堂町 『観音鉾』 の鉾差し練習・調整であります。

好天に恵まれ、青空に観音鉾が輝いておりました。

明日(5日)の本祭も、この天気がもってくれたら最高です。




大豊神社には「観音鉾」という名称の剣鉾が2ヶ町で存在していて、
この永観堂町の「龍」金錺の観音鉾と、
もう一ヶ町は、若王子町の「菊」金錺の観音鉾です。


そうして、大豊神社の剣鉾は、現在7基存在しています。

・鹿ケ谷桜谷町の菊鉾と扇鉾。
・永観堂町の観音鉾(龍)。
・若王子町の観音鉾(菊)。
・南禅寺北ノ坊町の葵鉾。
・南禅寺下河原町の菊鉾。
・南禅寺草川町の牡丹鉾。

桜谷町の菊と扇は、毎年巡幸参加し、
他の5基は、年番制で5年に一度の巡幸参加をしています。
つまり、毎年3基の剣鉾が、巡幸に参加し、鉾差しによって差されているのです。
もう昔々、私が20年前程前に伺った話では、
戦前には8基の剣鉾があったらしいのですが、定かではありません。



いよいよ、組立から始まります。



少なくとも、この鉾が差されたのは5年前。各部を細かくチェックしながら組み立てていきます。



金属は強いようですが、金属疲労で眼に見えない亀裂が入っていたり、
意外にもろく壊れてしまうものなのです。
巡幸の最中に破損したりしないよう、丹念にチェックしておきます。





見事な阿形(陽/日)・吽形(陰/月)の龍です。



金錺の細工が細かく、重厚な趣きの鉾です。
ただ風が吹くと、風抜けが悪いので、
差すのが難しいかもしれません。
真ん中の額には、表に「大豊大明神」、
裏には「観音鉾」と書かれています。


剣鉾の組立を順に追ってみました。
麻縄をどう掛けていくか、それぞれの縄・紐がどういう役目をしているのか、
よーく観察して覚えてみましょう。
まだまだ、結びは覚えていないのですが。。。

スタートは額の上から。
【A】 縄を二等分して真ん中で折り、その縄の折りセンターで、額上の処の剣と竹を締めこみます。
結びは、何結びでしょうか?巻き結びかな?わからんです。。。

      【A】           【B】           【C】            【D】
【B】 そこから、ほぼ水平に縄を左右に伸ばして絡めて行きます。
そして左右に出して一穴潜らせてすぐ、一旦縄を戻して張った縄に引っ掛け、
それから上下逆に戻って一つ目の穴を潜らせます。
そうすることで、剣と金錺の隙間が締まり、組み立て中に緩みが出ずに位置が固定できます。
そこから、左右対称に縄を金錺の穴を上下に潜らせながら、鈴吊りの処まで持ってきます。
【C】 張りすぎず緩すぎずの頃合いの強さで位置決めし、鈴吊りの棒の下でクロスさせます。
【D】 そうして、そのまま轅(ナガエ)に一度巻き付け、上がってきた縄を、
今度は渡っている縄に上からかぶせて押さえ込むように締めます。
これで縄がグンと張り、鉾全体が引き締まります。そのまま、縄を轅に数回締めこみます。
【E】 轅に数回締めこんだ後、再び縄を元来た道の左右方向へ、螺旋状に絡ませながら返してゆきます。ただ、金錺の穴を潜らす時は、上下が往路とは逆になるように走らせます。
まるで、大きな縫い物をしているような感じですね。

      【E】           【F】           【G】           【H】
そうして、額上の処まで戻ってきたら、剣・竹をまた数回締め込み、最後にX型に結びます。
ちょっと、文章で説明できません。
【F】 次に、鈴(りん)を結び付けます。杭の先端の穴に、鈴の縄を左右から差込み、
長ければ杭に締めて巻きつけて行き、最後に結びます。
【G】 その時、轅の棗(ナツメ・打金部分)に、鈴が往復の前後でちゃんと当っているか確認します。
【H】 最後の締めくくりです。
先程よりもやや細い麻紐を、鈴吊りの棒下で巻き結び?(わからん)とにかく締め、
そこから2本の紐を縒りながら鈴吊りの棒の先端のリング下まで上げてきます。
そして、そこで仮押さえしている内に、他の誰かに2本の紐をV字形に左右方向へ出しもらいます。
次に、額と受金の境目か、若干上くらいの位置から左右水平に目線を伸ばします。
そして、そのラインと先程の金錺を締めこんだ麻縄との交点に目を付けます。
その目を付けたポイントの麻縄と金錺を、V字左右に伸ばしてきた麻紐で一回潜らせて、
それからUターンして、再び鈴吊りの棒まで戻します。
その時、ただきれいにUターンして戻すのではなく、往路の紐に一回絡んでから復路を戻るようにします。その方が、紐が2本に分かれず若干のテンションが掛かり、緩んだ時にも縺れずに済みます。
戻ってきた紐を棒の前で一度クロスさせ、棒に巻きつけ前に戻ってきたのを、
下からすくい上げる様にしてV字紐を巻き込み、再び下げてから棒に巻き締めこんで行きます。
余った紐はそのまま巻きつけ、最後は結び終えます。

さて、このV字紐ですが、何の役目をするものでしょうか?
剣や金錺は、既に太目の麻縄でしっかりと締め付けられています。
これ以上、こんな細い紐で縛る必要があるんでしょうか。

答えは、↓下の「鉾建て」に少しヒントがあります。

~剣鉾を建てる降ろす~の項でも書いたことですが、
剣鉾を建てたり、寝かせたりする時、必ず鉾錺が縦になる状態で上げ下げします。
下の画像もそうして鉾を建てているでしょ。
ちょうど、包丁を振り上げたり、振り下げたりする様な感じです。

これは、剣鉾が前後にしなってお辞儀しやすい構造であるがゆえ、
正面を向けたまま上げ下げすると、鉾の首部分に掛かる荷重は、
その耐久強度の限界を、軽く超えてしまうのです。
つまり、鉾首から折れてしまうと言うことなのです。
それが、鉾を縦にすることで強度も増し、しなりも起さないのです。

しかし、上げ下げが繰り返し何度もあると、思いかけずに水平になる時も出てくるのです。
その時の安全弁として、この紐があるのです。
これがあるお陰で、正面を上にしての仰向け水平で鉾が寝てきたとしても、
最悪折れることはありません。
それは、この2本の紐が、鉾頭を垂れさせずに引っ張ってくれているからなのです。
構造的は、吊橋と同じ原理ですね。
因みに、うつ伏せ水平状態で鉾を寝かせると、いとも簡単に鉾首から折れちゃうでしょう。



鉾当家さんの前で、試し差しです。
剣先の招く振幅、鉾全体の振幅、鈴の振幅、轅のしなり、全体のバランスがどうか、チェックです。





剣の招き具合がちょっと硬いということで、額の上に突き出る竹を少し短くしました。

僅か1cmほどでも、剣先の振れが大きく変わってきます。



さあ、調整ができたので、表で鉾を差してみましょう。
ここ永観堂町は「哲学の道」への入口になるところ。
5月4日ということもあり、観光客のギャラリーの大勢観覧してます。






調整も完了。明日(5日)の本祭を控えて、最終の差し収めです。



鉾はバラさずに、このまま当家さんの座敷に収められます。




観音鉾当家さんの鉾飾りです。
留守鉾が美しい姿を見せてくれました。
祭壇には軸が掛けられ、大豊大明神・天照大神宮・愛宕大権現と書かれています。
背後の屏風には、見事な龍の絵が描かれています。





剣の根元に銘が入っていました。年号は寛文十年九月。
西暦で1670年ですので、江戸初期の時代になります。



57年ぶりに神輿が舁かれて巡幸に出ます。
金具類も綺麗にお化粧直しをして、まるで新調されたごとくの輝きです。




各剣鉾たちの轅が掛けられていました。






さあ、後は明日の天気がいいことを祈るのみ、ということです。






  

Posted by どせうの寝床 at 13:24Comments(2)大豊神社

2007年05月23日

大豊神社 5月3日 御旅所前・剣鉾の鉾差し練習

お待たせしました。新記事のupです。とくとご覧下さい。

大豊神社・鹿ケ谷の「氏神祭」を2日後に控えて、

哲学の道にある御旅所前で、剣鉾の調整を兼ねた練習が行われました。





ここ最近の鹿ケ谷祭は、剣鉾が3基鉾差しによって差され、神輿巡幸にお供いたします。

今年は、ここ桜谷町の菊鉾と扇鉾と、永観堂町の観音鉾(金錺は龍)。

今日は、菊鉾と扇鉾、明日が観音鉾の調子を出します。

鉾それぞれに癖があり、差す時のリズムも微妙に異なります。

それに、竹を新しくしたりすると、その長さや硬さで、剣のしなり方が変わってくるので、

鉾が差せるように、竹を削ったり、短くしたり、繰り返し繰り返し調整をしていくのです。





急の雨に避難です。急げ!

天気予報では、今日はいいお天気のはずなのに、にわかの雨です。雷もなってますよ。

誰や、雨男は!





そうして、ものの5分も経っていない内に、晴れだしてきましたよ。 さあ、練習再開です!




雨粒が付いたところをそのまま放っておくと、輝きがくすんでしまいます。

剣鉾は、やっぱり光り輝かないと、清めの霊力も衰えてしまうでしょうね。

涼しげな鈴(りん)の音に、黄金に輝くまばゆい光が、剣鉾には不可欠なのです。







雨雲が切れて、強い日差しが照りだしました。 さあ、一気に調子を出してしまいましょう。



鹿ケ谷・哲学の道に、剣鉾の鈴の音が響き渡っています。

通りかかった観光客たちも、足をとめて応援です。

みごと鉾が差されて、拍手喝さい!ギャラリーが居ると、差す方も気合が入ります。




胸に下げた小箱は、鉾の修理や部品の新調のために必要な資金を、

少しでも協力してもらえればと、募金のお願いであります。

現存している剣鉾は、新しいものでも、そのほとんどは江戸時代の製作で、

古いものになると鎌倉末期に製作され、修理を重ねて現在に至っている鉾もある。

この姿を見られたら、是非ご協力のほど宜しくお願い致します





鉾を建てるときは、その一番の元は動かないように、ガッチリ踏みしめなくてはなりません。

もし、そこが浮いてずれたりしたもんなら、

鉾は建つどころか、その重さゆえに一気に横に吹っ飛びながら倒れて、

悪くすると、棹は折れて剣にもダメージが及ぶでしょう。

これが土の上だったら、棹が地面に食い込んで、しっかり止まってくれるのですが、

アスファルトは、良いようで実は曲者なのです。ご用心ご用心。




えぇ~っ?剣鉾の剣って、ここまで曲がっとんねんなァ~。

普段見てるようで、意外と見えてへん。





二本の鉾が、鈴を響かせて、それが共鳴しあっているのです。

一つの剣鉾では、想像もつかない音の混在なのです。

この鈴(りん)の音が、三つ四つと増えていくと、もうどうなることか。











剣鉾の解説つきで、鉾差が見れるなんて、

この観光客の方は、すごい貴重な体験ですね。


さあ、調整もできて、みなさんの鉾差したい満足度も100%に達したということで、

そろそろ仕舞いましょか。

剣鉾金錺の木箱の蓋に、傾きだした日差しが、扇鉾の陰を落としてくれています。





5月5日、本祭のコースの説明と打合せです。

例年と同じなのに、なんでそんなに必死になって打合せするかと申しますと、

今年は、なかなか!そこが大違いなのです。

というのも、今年の氏神祭には、57年ぶりに神輿巡幸が復活するのです。

剣鉾は、神輿の先導。

必ず神輿の前を進んで、神輿の進む道を清めて行かなければなりません。



その巡幸道を複雑にしているのは、所々で神輿が単独行動を取ったり、

はたまた、剣鉾が単独で鉾指差しをするコースがあったりで、

分かれて進んで行っても、また合流する時は、必ず神輿の前に剣鉾が入るように、

時間を考えて進む必要があるのです。だから、みんな必死のパッチで打合せ中なのです。





菊、扇、ともにバラして箱に収めます。本番に備えて、また磨きこまれるのです。

お祭当日は、また黄金の輝きを放つことでしょう。



こうして見ると、剣って以外に長いのです。これに金錺・額・受金が付けば、丈は2m超。

それに棹が5mほど。 即ち、剣鉾は全長で7mを越えてくるのです。



棹を除く、剣鉾の部品全てが、きれいに収まりました。
神社と氏子の人たちによって、
何百年という長い年月を受け継がれ、
大切に守護されてきた剣鉾です。
明後日は晴れの舞台。
見事な雄姿を見せてくれることでしょう。


神輿も、2日後の巡幸を控えて、人知れず武者震いしているのじゃないでしょうか。





Kさん、自ら募金活動の模範となるべく、お宝投入の図。

あぁ~りがとうございま~す!





  

Posted by どせうの寝床 at 00:01Comments(2)大豊神社