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2011年04月26日

熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011

 
熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011

京都市内、春の剣鉾祭りの最初になる、熊野神社神幸祭。

以前、神幸祭は5月16日に行なわれていたが、

現在は4月29日になり、5月16日には神事である例祭のみが執り行われている。

熊野神社の剣鉾は、早い時代から居祭りになっている様で、

いつの頃まで神幸列に供奉していたのかは定かでない。

毎年、神社の拝殿に飾付けられるのみである。



熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011

今年も、烏鉾(からすぼこ)を中央に、大神輿と子供神輿が美しく飾付けられた。


熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011

しかし、僅かなタイミングを逸すると、この画像のごとく、

剣鉾と神輿の前には、氏子町・崇敬者の方々よりの御献酒がずらりと並び、

剣鉾の全体をカメラに収めることができなくなる。 2007年の様子はこちら

御献酒が並ぶ前となると、拝殿に飾付られた後の僅かな時間のみとなる。

その日が今年は4月20日であったが、その場に立ち会うことはできなかった。

すなわち、この画像となった次第である。


熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011
熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011

剣先の中程より、やや上部に表裏からサンドイッチする様に、当て金が施されている。

装飾の様にも見えるこの当て金は、剣鉾の剣先に関してはほとんどの場合、傷みの補修である。

以前から気になっていたのだが、今年接近して撮影することができた。

拡大して見たところ、右端に断裂の様子を確認できたが、再度実見の必要がある。

このことは、烏鉾が鉾差しによって差されて、神幸列に供奉していたことを物語っている。

熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011



では、そのチャンスに上手く遭遇した、2008年4月21日の模様を出して、烏鉾の全体を眺めよう。

熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011


正午過ぎ、まず蔵から神輿が運び出される。

熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011


熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011

熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011

熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011

熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011

続いて子供神輿が運び出される。

熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011

熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011


石鳥居に氏子町内の名が入った提灯が上げられる。

熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011

八ケ町・十自治会から構成されている様である。

ちょうど、下御霊神社と須賀神社の氏子区域の間を埋める様な形になっている。

熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011

熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011

熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011

熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011

熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011

熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011

熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011

熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011

熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011

熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011

熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011

最後の一枚は、剣先を収める箱である。

その蓋に書かれている文字が、『御鉾 新先斗町』となっている。

これは、現在では神社守護になってしまっている烏鉾だが、

元々は新先斗町で守護されていたことを示している。

裏書までは確認していないが、銘が残されている可能性もある。

斜め右上の赤い紐で縛ってある平箱と小箱だが、

平箱の方が金錺の箱、小箱の方が額を収めている物と思われる。

こちらは、蓋の文字までは見えない。

熊野神社 烏鉾・神輿飾り付け2011


 



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Posted by どせうの寝床 at 06:00│Comments(21)熊野神社
この記事へのコメント
熊野神社は家からは近所なんですが、あまり中に入ることがなくて…。
烏の剣鉾観たいです。黒いとインパクトありますねぇ。
Posted by 魔法のランプ at 2011年04月26日 15:29
魔法のランプさん
そう、お近くですよね。
確か、5月16日までは拝殿に飾られていると思いますので、是非、覗いて見て来てください。
この烏は、熊野三山の神使である八咫烏(やたがらす)で、足が三本なのです。しかし、この烏鉾の錺では、その象徴的な三本足はデザインされていません。
錺師が、凄みのある力強さよりも、見た目の優美さを選ばれたのかも知れません。その優美さは、黒くなければ賀茂の水面を群れ飛ぶ千鳥の様にも見えてきます。
Posted by どぜうの寝床どぜうの寝床 at 2011年04月26日 20:25
実は昔、ほんの一二年ですが新先斗町に住んでいました。

幕末には遊郭があったらしく町名もそれが由来かもしれませんね。
家の柱に刀傷が残っている、というお家もありました。

鉾のスポンサーとして新先斗町は納得できる話ですね。

しかしこの鉾、受金がありませんね。
と言うか額がもしかすると上下が逆さになってる気がします。

額の銘を逆さにして額を逆さにすると?

どう思われます?
Posted by kacky at 2011年05月01日 14:46
kackyさん、一昨日はありがとうございました。
新先斗町、そうでした、kackyさん相当前に言うたはりましたね。

ところで、受金の件ですが、確かに見れば見るほど変なのです。
受金の有無については別にして、
疑問【1】、額を上下このまま使ったとしたら、剣先の根元(挟み竹の位置)が相当高くなっているので、左右の錺の一番高い位置へ、水平に縄を取ったとしても、剣先根元の”とっくり結び”の締める位置が、根元ギリギリになってきます。おそらく、差しているうちに剣先が上に浮いてきて、縄の縛りがすっぽ抜けて、剣尻の細身に落ち込んでしまうのではないかと思うのです。
疑問【2】、左右の錺のベースの地紋に松が線刻されているのですが、その松葉の水平がすべて端下がりになっていることです。各神社の松鉾の場合、松の枝葉は若干の弧を描きながら水平を保って意匠されるのが常套です。それが端下がりということは、錺全体が正しい角度に装着されていないことになります。しかし、現在の額と錺の爪では、これ以上左右を持ち上げて差し込むことは難しそうです。

つまり、その疑問2点が、この額を上下逆にして組み立てれば、一挙に解決すると予測できるのです。
ただ、この御神号がこの向きということは、どうしたものか、わかりません。
以前に修繕して、着ける向きを上下逆にしてしまったのか。

この上下逆という例についてよく似たものに、修学院・鷺森神社の剣鉾があります。
正しく組むと受金の紋が上下逆になってしまうパターンです。
おそらく、修繕した時に、板金の向きを間違って付けてしまったものと思われます。
※「鷺森神社2009 例祭」 参照 http://kenboko.kyo2.jp/e104819.html

ところで、この額が上下逆だったとして、組んでしまうと、また違う疑問が出てきます。
疑問【3】 受金とおぼしき部分に円形の板が付いていますが、これは表裏で日月になっているのです。日が金色で、月が銀色になっています。そのことから、神額の下に位置する部分へ、日月を配置するというのも、もう一つ頷けないところなのです。やはり今の様に、御神号の上に日月が配置されているのが美しいとも思ってしまうのです。

それで、額の下端面(本来、受金と接する部分)に、額からさらにはみ出る様に、重さを受ける様な形状で台座が付いているのが見えます。それは、他の鉾の額では見られない部分です。

ということは、やはりこの上下の向きで差されてきたものなのかとも考えるのです。

長々と書きましたが、結局、正解は見えずです。
失礼しました。
Posted by どぜうの寝床どぜうの寝床 at 2011年05月01日 17:13
う~ん。謎が深まりますね~。

額の形が、額と受け金が一体の雲形になっている今宮さんの鉾のものに似ていると思えること。

額を逆さにすると招きが全体に少し下がり、招きの紐を最初にかける位置と最初に紐を殺す位置(一番上のカラスの内よりの翼と松の装飾の繋がっている部分)がほぼ水平になること。

ただし、招きに最初に徳利結びをする位置はあくまで主観ですが。

以上の事からもしや、額が逆さでは、と思った次第で。

ちなみに招きを挟んでいるのは竹ではないように思われます。
また、その上からの真鍮のかぶせ金具はあくまで居祭用のものである、と思われます。

天然素材の竹(または木材)を調整するのに金具で寸法を制約されるのは合理的でない、と思うからです。
また、その上の小さい丸金具は紐をくくる時の位置決めのためかなと思います。

紐をくくる際、ずり落ち防止に一見便利そうですがこれがあると徳利結びができません。

かなり昔に居祭になった、ということならその間に居祭用の物が作られても不思議ではないかもしれません。
角型の台座も然り、です。

ただしひとつ、解せない点があります。

日月の位置を指摘されていますが僕はそれよりも日の上の小さな三角形の突起が気になります。

額を逆さにするとこの部分が長柄と接するのでいくら座布団をかます、とは言え相当重量が架かり部材を痛めてしまう、と思うのです。

普通このような意匠は祭具としての耐久性を考えると避けるのでは、と思うのです。

もし長柄が現存しているのであればその角ホゾの断面の形状を見てみたいですね。

と言うわけで僕も考えが堂々巡りになってしまいました。
Posted by kacky at 2011年05月03日 11:24
kackyさん、三連休 大豊さん・八大さんとお疲れ様でした。
やはり、長柄を見ることができたら、ある程度の疑問は解決しそうですね。また宜しくお願い致します。
Posted by どぜうの寝床どぜうの寝床 at 2011年05月06日 13:22
いえいえ!
どぜうの寝床さんも二日間お疲れ様でした!

次は八日の新日吉神社さんです。

そして明日から吉田は十五日に向けて毎日練習です。
Posted by kacky at 2011年05月06日 21:20
kackyさん、お疲れ様でした。
昨日の新日吉さんは暑かったですね。
でも春祭りはやっぱり、この強い日差しに爽やかな風が似合います。
15日は、吉田氏子講社大祭頑張って下さい。
Posted by どぜうの寝床どぜうの寝床 at 2011年05月09日 22:02
一度お会いした事がありますが、書き込みさせて頂くのは初めてです。
今年も嵯峨祭りが近付いて参りました。
どぜうの寝床様におかれましては、菊鉾とご親交があることを伺っております。
今年は菊鉾の差し方が澤瀉鉾の練習の見学に来る様な事を仰っていました。
宜しければ菊鉾の方々と御出で下さい。
澤瀉鉾世話方 「まささん」でした
Posted by まささん at 2011年05月09日 22:57
まささん様
練習情報をありがとうございます。
一度お会いしているんですね。
いま、お顔を思い出せなくてすみません。
拝見したら、すぐに思い出せるでしょうね。
ところで、菊鉾の差し方が、澤瀉鉾の練習を見学されるというのは、珍しいんではないですか。
嵯峨では、五つは個々に練習されていて、あまり合同で練習などされないと聞いていましたが、嵯峨の鉾にも、横の交流を始める動きがあるんでしょうか?

ところで、話が変わるんですが、福王子神社のお祭りに、昔、鉾を差しに行っていたという情報を、ご存知ではありませんか。
Posted by どぜうの寝床どぜうの寝床 at 2011年05月10日 21:54
こんにちは。
吉田神社の差方の柿ちゃん(学生時代はそう呼んでいました)のご紹介で一度うちのお祭りでお会いしております。
さてさて澤瀉鉾差方は以前より他の鉾の練習の見学には何度か訪れています。もっとも行くだけで来て頂いた事はありませんが。
その上我が澤瀉鉾差方は、数々の不埒無礼を働いていると聞いております。
例えば大覚寺の御所内に入って鉾を差す様になったのも、うちが年番の時からだとか。
福王寺のお祭りに鉾差しの手伝いに行ったと言うのも聞いております。しかも、荒々しい差し方の為、鉾を壊してしまったというのも事実です。
御陰様で澤瀉鉾は、他の鉾方より一目おいて頂いている様です。
あまり自慢になりませんね。は、は、は、、、、。
ではまた。
Posted by まささん at 2011年05月15日 17:49
まささん
吉田の柿ちゃんの紹介でということは、JR嵯峨駅前が綺麗になった年の嵯峨祭でお会いしていますね。

ところで、嵯峨祭とひとくくりに言いますけど、やっぱり一つ一つ特徴がありますね。面白いです。
大覚寺の御所内への参内というのも、現在行われている例は珍しいです。
勅使門から中に入ることが始まったのは、結構新しいことなんですか。

福王子に、鳥居本からも鉾を差しに行っていたんですね。福王子は、しばらく鉾差しが絶えていたのが、昭和56(1981)5月の一年だけ、「開山宇多法皇一千五十年御忌法会」で復活されたようです。その時に福王子の剣鉾6基全てが出て、三基三基で嵯峨と梅ヶ畑で担当したようです。

お出でも過ぎ、いよいよ迫ってきましたね。
また宜しくお願い致します。
Posted by どぜうの寝床どぜうの寝床 at 2011年05月16日 13:24
大覚寺の御所内へ入る様になったのは、少なくとも20年以上前からですね。
恐らく43年前からではないかと聞き及んでいます。
澤瀉鉾の不埒な悪行三昧は、大覚寺御所侵入以外にも、祭りの行列が戻ってきた所の御旅所境内への侵入もあります。
流石に最近はおとなしくなってきたので年番の年に当っても御旅所侵入はある程度自粛していますが、、、。
嵯峨祭りの鉾差しも一時中断していたと聞いております。やはり鉾の差し方が揃わなかったのが原因だったと言う事。
再開したのはおよそ43年前です。
また本祭りの時にお出での節は、澤瀉鉾の世話方をしておりますのでお気軽にお声掛け下さい。
ところで今日から本鉾での練習が始まったのですが、、、、、重い、、、、。
Posted by まささん at 2011年05月16日 23:30
追伸
お祭りの本番でお会いすると言うのは、ある意味オフ会ですね。
あ、祭り当日だから、offじゃなくオン(on)会か?
Posted by まささん at 2011年05月16日 23:38
いやいや~!
22日は大変でした!

午前中は下御霊さんの川東の剣鉾をおなじみのメンバーで見に行ったのですが、、、、
強烈な雨にあいズブヌレになりました。

またもや雨男伝説が出来てしまいました。

午後は嵯峨祭りに移動、丸太町でうまい事合流出来ました。

牡丹鉾、澤瀉鉾、菊鉾と顔見知りが増えたのがなによりです。

午後は暑いくらいでした。

そういえばどぜうさんは当日どちらへ?
Posted by kacky at 2011年05月24日 20:32
まささんさま、嵯峨祭お疲れ様でした。
朝の土砂降りから打って変わって、午後の晴天は、日頃の行いが良いのか悪いのか、何やわからん、わや苦茶でしたね(笑)
せっかくお声を掛けていただきながら、伺えずに失礼いたしました。
これに懲りずに、また誘って下さい。
一度お会いしているかもしれませんが、再度お会いして、まささんのお顔を、しっかりと頭に刻み込みたいと思いますので、宜しくお願い致します。
Posted by どぜうの寝床どぜうの寝床 at 2011年05月26日 13:33
kackyさん、お疲れ様でした。
当日は、午前中の用事を済ませて、昼前から下御霊に張り付いておりました。
みなさんが嵯峨祭に向けて、下御霊を離脱された直後に到着した感じかと思います。
この日はバイクではなかったので、嵯峨祭まで足を伸ばすのを断念し、下御霊の各鉾町で、聞き込み・剣鉾悉皆調査のお手伝いをさせていただきました。
藤田さん、大西先生、筋先生、渡辺さんには、ご挨拶できました。
また詳細は、記事アップしますので、お楽しみに。
Posted by どぜうの寝床どぜうの寝床 at 2011年05月26日 13:41
え~っと、まず初めに「御返信」頂く際は「まささん様」ではなく「まささん」で結構です。
さてさて今回の嵯峨祭り、えらいこってした。
2年続けて雨っちゅーのは私の記憶では初めてです。
10月の鉾差しまでには御伺い致しますので
宜しくお願い致します。
すんません、少し(ずいぶん)酔っております。

下御霊の祭りには元嵯峨祭り御輿方もいるのでお話だけは聞き及んでいますが、
「ま、今年はしゃーない」事です。
「それより、近い内に子供用の鉾」を見に行きたいと思っていますと仰って頂きました。
Posted by まささん at 2011年05月28日 21:40
え~っと、まず初めに「御返信」頂く際は「まささん様」ではなく「まささん」で結構です。
さてさて今回の嵯峨祭り、えらいこってした。
2年続けて雨っちゅーのは私の記憶では初めてです。
10月の鉾差しまでには御伺い致しますので
宜しくお願い致します。
すんません、少し(ずいぶん)酔っております。

下御霊の祭りには元嵯峨祭り御輿方もいるのでお話だけは聞き及んでいますが、
「ま、今年はしゃーない」事です。
「それより、近い内に子供用の鉾」を見に行きたいと思っています。
Posted by まささん at 2011年05月28日 21:44
あ、、、、、。
ダブッとる所削除でけん、、、、、。
Posted by まささん at 2011年05月28日 22:08
(お言葉に甘えまして・・・)
まささん。
2年続けての雨というのは、某鉾差しkackyさんの”せい”やちゅう話です。
ご本人も気にしたはりますが、雨男やという、もっぱらの噂です。

>10月の鉾差しまでには御伺い致しますので
宜しくお願い致します。
どうぞお出で下さいませ。
よろしかったら、6月5日13時~17時、秋の粟田祭りで差す鉾の総点検を行いますので、お出で下さい。
神社集合13時の後、各鉾町で試し差し、16時くらいにまた神社に集合します。
Posted by どぜうの寝床どぜうの寝床 at 2011年05月30日 13:19
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