2009年05月09日
祟導神社2009 大祭
5月5日、上高野の産土神・祟導神社の大祭が行われました。
八瀬天満宮社から八大神社へ向かう途中に立ち寄りの駆け足撮影です。

ここにも剣鉾が2基存在していて、鉾差しはされていませんが、
年男・数え年24歳の男性が1基2人で、鉾の横に寝かせて肩に担いで巡幸します。
※昭和55年の祭礼巡幸時の画像は後ほどアップします。

ここ祟導神社は、御旅所にあたる里堂(さとんど)に神輿が保管されていて、
巡幸もここからの出発です。
神社に行っても何も無いはずです(覗かなかったので断定は出来ませんが)。


よーくみると、左右の金錺が違っているようです。
毎年、ちゃんと判る方がおられて、
その慣わしなどを伝えていく仕組みが絶えてきているのかもしれません。
前述の昭和55年の巡幸時は、ちゃんと組まれていました。
マネキが激しく曲がってしまっています。
お祭を行い、神具を保管維持することは、とても大変なことなのですが、
もう少し気配りしていただけると、うれしいですね。


合成画像です。
このように左右の錺が揃うのが、本当の姿です。 因みにこれは鳳凰の剣鉾。

巡幸列表には、”剣”と書かれているのが、剣鉾のことです。
一つ前の”鉾”は、一般的な四神鉾のことかと思います。

これが布鉾とよばれるのもです。

◆里堂(さとんど)
八瀬天満宮社から八大神社へ向かう途中に立ち寄りの駆け足撮影です。

ここにも剣鉾が2基存在していて、鉾差しはされていませんが、
年男・数え年24歳の男性が1基2人で、鉾の横に寝かせて肩に担いで巡幸します。
※昭和55年の祭礼巡幸時の画像は後ほどアップします。

ここ祟導神社は、御旅所にあたる里堂(さとんど)に神輿が保管されていて、
巡幸もここからの出発です。
神社に行っても何も無いはずです(覗かなかったので断定は出来ませんが)。


よーくみると、左右の金錺が違っているようです。
毎年、ちゃんと判る方がおられて、
その慣わしなどを伝えていく仕組みが絶えてきているのかもしれません。
前述の昭和55年の巡幸時は、ちゃんと組まれていました。
マネキが激しく曲がってしまっています。
お祭を行い、神具を保管維持することは、とても大変なことなのですが、
もう少し気配りしていただけると、うれしいですね。


合成画像です。
このように左右の錺が揃うのが、本当の姿です。 因みにこれは鳳凰の剣鉾。

巡幸列表には、”剣”と書かれているのが、剣鉾のことです。
一つ前の”鉾”は、一般的な四神鉾のことかと思います。

これが布鉾とよばれるのもです。

◆里堂(さとんど)