2019年02月11日
剣鉾・顔面カタログ 「晴明神社 菊鉾」

晴明神社 菊鉾 菊鉾会守護
晴明神社には、菊・扇二基の剣鉾がある。
現在、両鉾とも神社に戻っているが、
もともと氏子町内での預かりであった。
この菊鉾は、竪神明町守護。
2019年02月10日
剣鉾・顔面カタログ 「嵯峨祭(愛宕神社・野宮神社) 龍鉾」

春の剣鉾祭りの最後を飾る嵯峨祭。
愛宕神社と野宮神社の両社の祭礼である。
剣鉾は五基の内、大門町守護の龍鉾。
毎年、釈迦堂門前の嵯峨豆腐・森嘉さんが鉾宿となり、
留守鉾が当家飾りされ、祭りが近づくと本鉾が立つ。
2018年09月30日
2018年09月27日
剣鉾・顔面カタログ 「木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社) 稲積大明神の鉾 広隆寺門前 」

木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社) 稲積大明神の鉾 広隆寺門前
木嶋神社・神幸祭では、剣鉾は五基。
トラック巡行ながら、この鉾は神輿供奉列で一番鉾を務める。
神幸祭は、いわゆる郷祭りの形を成している。
つまり、旧郷社である木嶋神社氏子の太秦郷の各在所ごとに、
その産土神を掲げた鉾を出している。
2018年09月27日
剣鉾・顔面カタログ 「花園今宮神社 御鉾(橘) 花園木辻町守護 」

花園今宮神社 御鉾(橘) 花園木辻町守護
花園今宮神社には、三基の剣鉾が伝わっている。
現在、居祭りのみで神輿には供奉していないが、
もちろん、かつては鉾差しが行われていた。
ここ木辻町の鉾当家にも差革が残っている。
鉾の作りは、至って京鉾然としている。
しかし、注目すべきは、左右の錺が、パラボラ状に前へ迫り出している点である。
ちょっと話は変わるが、
西隣りの太秦(木嶋神社)では、梅ヶ畑より鉾差しを招いていたという伝承があり、
おそらくこちらでも梅ヶ畑よりの招聘が考えられる。
あくまでも仮説だが、前述のパラボラ状の変形は、鉾の作りや強度的には京鉾であるのに対して、
梅ヶ畑よりの鉾差し招聘により、梅ヶ畑の組み方の特徴である強力な締め上げを、
毎年重ねることで、錺が徐々に前面へと迫り出す形に変形していったのではないかと考えている。
2018年09月26日
剣鉾・顔面カタログ 「熊野神社(京都) 烏鉾 」

熊野神社(京都) 烏鉾
熊野神の神使である八咫烏を意匠にしている。
個人的には、三本足がないのは、ちょっと残念。
現在、春の鉾祭りの先駆けとして4月29日に神幸祭が行われている。
平成以前は5月16日であった。
現在、鉾は神社で護持されているが、剣先箱に”新先斗町”の墨書が見られることから、
本来は、川東の町内当家で守護されていたと見られる。
神幸祭で、鉾差しによる神輿供奉の記録は残されていないが、
大正二年四月、丸太町通に市電(路面電車)が開通するまで、
熊野神社の一の鳥居が丸太町川端に建っていた。
丸太町通を神幸列が進み、その先導をしていたのかも知れない。
2018年09月26日
剣鉾・顔面カタログ 「福王子神社 御鉾(飛龍) 鳴滝村奉賛会守護 」

福王子神社 御鉾(飛龍) 鳴滝村奉賛会守護
福王子神社の祭礼では、六基の剣鉾が神輿に供奉する。
現在は、鉾頭のみを荷台に載せたトラック巡行になっている。
かつては、六つの在所ごとに、
それぞれに縁のある嵯峨や梅ヶ畑から鉾差しを招いて巡行していた。
しかし、今、鉾差し巡行復活に向けての動きがある。
近い将来、地元氏子による鉾差しが見られそうである。
2018年09月25日
剣鉾・顔面カタログ 「京都ゑびす神社 兎鉾 亀井町守護 」

京都ゑびす神社 兎鉾 亀井町守護
近代以降、電線電柱のインフラ整備が進む中にあって、
ゑびす神社の鉾の多くが荷鉾に改造されていったが、
この兎鉾は差鉾の姿を残している。
この画像の鉾は、留守鉾(古鉾)である。
2018年09月25日
剣鉾・顔面カタログ 「須賀神社(西天王) 菊鉾 奥井氏守護 」

須賀神社(西天王) 菊鉾 奥井氏守護
聖護院には、五基の剣鉾が守護されている。
この菊鉾は、祭礼に出なくなって久しい。
意匠・形状を見るたびに、吉田今宮社の鉾との関係を想像してしまう。
近代以降、西天王は社地を転々としているが、
現在の地に鎮座した大正13年までは、吉田神楽岡(吉田神社境内)にあった。
2018年09月24日
剣鉾・顔面カタログ 「春日神社(西院春日) 弐番鉾 鉾仲間立倉町守護 」

春日神社(西院春日) 弐番鉾 鉾仲間立倉町守護
中央には、八角形の餝受けがあって、その下に額が着いている。
額が下に着く形式は、非常に珍しく、吉田・今宮社の剣鉾群に数例見ることができる。
2018年09月24日
剣鉾・顔面カタログ 「岡﨑神社(東天王) 栗鉾/天王町個人守護 」

岡﨑神社(東天王) 栗鉾/天王町個人守護
岡﨑神社の剣鉾は11基、内6基が神社預りになっている。
この栗鉾は、その一基。
お出で(10月11日)に能舞台あるいは拝殿に飾り付けられる。
先年の大調査でも、調査は一部に止まり、その全貌は未だ見えない。
別に、特筆すべきは、御神宝として名高い犬鷹鉾がある。
2018年09月23日
剣鉾・顔面カタログ 「八神社 一之鉾/一之鉾講守護 」

浄土寺・八神社 一之鉾/一之鉾講守護
一乗寺から南禅寺までの鉾差し輩出地域の中にあって、
かつては名を残す名人も多く出たが、現在は残念ながらクルマ巡行になっている。
2018年09月22日
2018年09月21日
2018年09月20日
剣鉾・顔面カタログ 「大豊神社 牡丹鉾/南禅寺草川町守護 」

大豊神社 牡丹鉾/南禅寺草川町守護
鹿ケ谷・南禅寺の鎮守社、大豊神社の剣鉾七基の内の一基。
5月の祭礼では、南禅寺参道の松林の中を、連なって巡行する姿が美しい。
2018年09月19日
剣鉾・顔面カタログ 「紫野・今宮神社 剣鉾(剣菊鉾)/五辻町守護 」

紫野・今宮神社 剣鉾(剣菊鉾)/五辻町守護
正式には、剣鉾(つるぎぼこ)。
美しい菊の餝がほどこされているので、剣菊鉾(けんきくほこ)と呼ぶことが多い。
2018年09月18日
剣鉾・顔面カタログ 「吉田・今宮社 唐胡麻鉾(とぐるまぼこ) 」

吉田・今宮社 唐胡麻鉾(とぐるまぼこ)
平成の鉾差し大復活の先駆けの一つとなった吉田の鎮守社・今宮社の祭礼で
一番鉾にあたるのが、この唐胡麻鉾。
10月の祭礼で、京大のキャンパス内へ吹散りを着けて巡行する様子は、
一見の価値ありである。
2018年09月17日
剣鉾・顔面カタログ 「御霊神社 太刀鉾(波太刀鉾)/青龍町守護 」

御霊神社 太刀鉾(波太刀鉾)/青龍町守護
昭和初期(十年頃)の映像が残されており、
当時すでに荷鉾として神幸列に供奉している様子がみられる。
現在、当家飾りで飾りつけられる随身人形が、
実は、その荷鉾に装備されて巡行していることが確認できた。
その人形は、大正五年に寄進されたもので、
あくまでも推測だが、
その前年までは差鉾で神幸列に供奉していたのかもしれない。
2018年09月16日
剣鉾・顔面カタログ 「下御霊神社 桐鉾/毘沙門町守護 」

下御霊神社 桐鉾/毘沙門町守護
通称”菊桐鉾”と呼ばれている。
五月の還幸祭・午後からのの西廻り(寺町通~油小路通、出水通~二条通)で、
最後まで差鉾で神幸列に供奉していた。
しかし、平成21年を最後に、剣先の金属疲労がみられることが原因で、
居祭りとなっている。
2018年09月11日
剣鉾・顔面カタログ 「新日吉神宮 五番鉾 客人御鉾 稲荷町守護 」

新日吉神宮の鉾は、一番から七番まで、七基の鉾が存在している。
御祭神である山王上七社、つまり、
・大宮
・二宮
・聖真子(宇佐)
・八王子(牛尾)
・客人(白山)
・十禅師(樹下)
・三ノ宮
の七社の鉾が、かつては林立して神輿を先導していた。
この五番鉾は、白山宮・客人(まろうど)の御鉾で、
毎年、当家は松明殿稲荷社になっている。
中央の三本杉は、白山宮の神紋である。